今回詩や小説などの作品をまとめたことについて
今回詩や小説などの作品をまとめたことについて
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今回詩や小説などの作品をまとめたことについて、
序文も書いたんですがもう少し補足して詳しく書きますね。
個人的には、詩や小説の発表の在り方として、130個全部一度に公開するというのは、個々の作品にとってはあまり良くないなという思いもあります。
数が多すぎるから読まれづらいでしょう。
それでも今の自分にはそうすることが必要だったと思っています。
今までこういうことをしたことはありませんでした。
以前にも書きましたが、自分のことを自分で納得できるようなやり方で説明したいと思う事がここ数年間ずっとありました。
特に誰かに対してというよりも、他人全般に対して、あるいは社会に対して、ずっとそうしたいと思ってきました。
そしてたぶんそれを一番うまくできるのは、ただ今までの人生で起きた事を伝えるのではなく、今までの人生で作ったものを通して伝えることだと感じていました。
というのもわたしは、日常生活の中で、自分の感じていることを表現するのが下手だからです。
これから音楽活動も再開しますが、それをするためにも、自分がどういう人間か、どういうものを感じて生きているか、どういう立場で生きているか、それをもう少しはっきりさせたかった。
普段のわたしを知ってる人ならわかると思いますが、わたしはかなり八方美人です。
しかし今回公開した作品は、残念ながら合わない人には全く合わないでしょうし、特にここ2年くらいのものは理解もできないことでしょう。
わたしは、色々な場所や催しに参加した時、自分のことを説明するのがうまくできないせいで、よく分からない変な人だと思われたり(少なくとも自分はそう感じたり)、よく分からない変な人だと思われているんじゃないかと感じることが、とてもストレスだったんだなと今は改めて思います。
でも、自分の中のこういった部分(この作品集に載せられているような部分、合わない人には合わない、というより、全く理解されないであろう部分)を他人全般に対して向けて公開することには、抵抗が強かったなと思います。
ではなぜ抵抗が強かったのか。
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一言でいえば、自分ひいては自分の作品が異常だという意識があったからですね。
自分は変で劣っているという意識もあったからでしょう。
自分でそう思い込んでいるだけではないか?
たしかに、そういう風に言うことはできます。
というか、自分でもそうなんじゃないかという意識があり、だからこそそう言われかねないことが辛かったですね。
でも今となっては異常という意識には前よりも根拠があります。
去年9月に仕事を変える前の事でした。以前から自分はそうなのでは、という疑いがあったのですが、当時働いていた仕事が全然できなかったこともあり、心療内科でWAIS3という一種の知能テストを受けたところ、ADHD(注意欠陥・多動性障害 - Wikipedia)と軽度のASD( 自閉症スペクトラム障害 - Wikipedia)と判断され、仕事を続けるためにADHD向けの薬を常用するようになりました。
自分の人生で色々なことがうまくいかなかった要因として、ADHD的な部分やASD的な部分はかなりあるのではと考えるようになりました。
思い返してみると、自分の物事への過敏さや、過剰に集中してしまう性質や、物忘れやケアレスミスの多さ、衝動的な性質、テンション高くなった時の落ち着きのなさ、一度に思ったことを全部言ってしまう(書いてしまう)ような性質、などは全部ADHDで説明できるじゃん、と思わずにはいられません。
また、飲み会のような場やチームプレイが苦手だったり、過度な攻撃性(ただしそれはほとんど自分に向けられるが)、阿吽の呼吸ができなかったり、物の考え方が断片的になりがちだったり、抽象的で論理的なことにやたら興味を持ったり、個々の人間にはかなり感情移入できるけど、集団的な盛り上がりには感情移入を持つのが苦手な所、相手の感情や行為や空気を理解できても、それに対してどう反応すればいいかわからなくなることの多いこと、などはASDで説明できるかもしれません。
そういう人が、ごく一般的な社会人に対して強い劣等感を持つのは当たり前だし、他人とのコミュニケーションに自信を無くすのも納得できるなと。
すでにできあがっている社会的な場所の中で、他の人と同じようにするという当たり前のことができない、というのがかなり長い間における私の悩みだったと思います。
そして、自分の理想や想像の性質もありますね。とても非日常的なものや非現実的なものを志向する性質のことです。
自分の作ったものが、以上に書いた性質に影響されている事は間違いありません。
人に怖がられたり、警戒されたりするのが嫌だったんですね。
だから、例えば職場だとか、初対面の場所とか、色々な場所で、自分のそういう部分は隠していました。(実際、わたしと話したことのある人で、この文章を読んで驚く人はきっと色々いると思います。わたしは実際人当たりはそんなに悪くないので)
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でも、そういうのはもう限界なのかもしれませんね。
隠してもにじみ出るしね。
結局、どこに行っても物事ってつながってる気が今はしています。
それにさすがに色々経験すると、この人変って人はたくさん出てくるしね。
10代の頃や20代前半の頃は、自分の事だけで精いっぱいだったけど、その後は、色々な人がいて色々な苦悩や不幸があるよなと実感することが年を追うごとに本当に多くなった気がします。
それに、どんなに社会的に異常といわれるような人であっても、生い立ちや世界観や価値観も含めて、色々その人の話をしっかり聞けば、その異常さについて納得できることがほとんどだったと思います(というか、まともにその人の話を聞く人が誰もいないからどんどんおかしくなるケースって絶対多いと思います)。
自分の異常性を攻撃することは、何らかの形で異常性を持っている他の人を攻撃することにも繋がります。
ならもう別に異常でも良いじゃんと。
それと、もう一つ。
去年初めから潰瘍性大腸炎( 潰瘍性大腸炎 )という病気に実はかかっていた事が今年初めに内視鏡検査で分かりました。
治療の結果、病気はほぼ寛解し、病気になる前とほとんど変わらない体に戻りましたが、ADHDの件もあり、物事への関心や自分についての考え方が少し変わりました。
また何で潰瘍性大腸炎になったのかも当然考えざるをえませんでした。
生活そのものに問題があったのはもちろんですが、それ以上に、
DTMで曲を作り、公開するようになってから、制作に集中しすぎて生活リズムがおかしくなったこと、ボカロのシーンに対して、距離感を覚えてはいても無理に合わせようとしすぎていたと思います。
結果的に何か中途半端なものになったなと思います。
そして凄く色々な人に気を使っていたなと思います。
(いや、これからも気を遣うけど。基本気を遣う人だし)
ともあれ、当時は精神的にも身体的にも自分を追い詰めていたなと思います。
潰瘍性大腸炎はたぶんそのあたりの事情が大きかったのではと今は思っています。
音楽を続けるにしても、今までのやり方で活動するとまた病気になるのでは、という感覚が強くありました。
自分の立場をもっとはっきり作っておこうと思うようになりました。
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わたしは音楽を作っていました。そしてかなり長い間それに集中してきました。
20代の時に、即興演奏の集まりに色々参加したり、バンドをしたり、自分で引き語りで歌っていた時期もありましたし、その後は音楽関係の学校に行ったり、ピアノのレッスンを受けたり、ボーカロイドやUTAU曲を作ってきました。
ただ、今から振り返ると、何か自分がそこで出会った人たちやそれらのシーンや環境とは違うものを持っている感じは否めませんでした。個々の人々や音楽や曲に好意を持っても、場所そのものには十分には合わせられなかった(勘違いしてほしくないですが、できればわたしはもっと合わせたい気持ちも強かったです。また特に積極的に排除されたわけでもない)。でもできなかった。それは先に書いたようなコミュニケーション力の低さもあったでしょう。また自分の中に美意識や価値観や世界観が別に(今回の作品集の内容のように)はっきりあったことも大きいです。同じことは文学の世界でも言えることで、自分が馴染みやすいシーンがあったわけでもなかったですね。
考えてみると去年に限らず、今までずっと同じようなことをずっとやってきたような気がします。社会とのかかわりの中で。
人と違うからと言って(あるいは別の人と同じだからと言って)、それが別の人より優れているかどうかは全く関係ないということも確かです。
問題なのは、異常とか正常とかではっきり差別したり、そういう事に優越感や劣等感を抱いたりすることかもしれません。
今書いていて思ったことですが、もしかしたら、作品集を公開したのは、今まさにこの場でこういう事を書けるようにするためだったかもしれません。
わたしが如何なる人であっても、結局のところ人であることには変わりません。
人間なんて、宇宙とか地球に比べたらちっぽけなものだし。
そして、どんな人も、その個人個人の人生をその内側から体験することができたのだとしたら、素晴らしい詩や小説の素材なんていくらでも出てくるに違いないと思います。
このブログにしても、作品にしても、仕事している時や一人の時も、誰かといる時もそうですが、まあわたしはこういう事を言ったり書いたりする人だといえましょう。。
とにかく、まだ途中まで作りかけになっていた曲も色々あることだし、これでやっと音楽活動に戻れる気がしています。