note転載19 躑躅の花と、存在しない一橋学園

――するるするると、曲がりくねって伸びていく、蔓草たちに取り巻かれている、にぎやかな街角が、そこにあります。

様々に着飾った人々の群れを縫うようにして、どこまでもどこまでも歩いていきます。

そうしてそうして、曲がりくねった坂道を昇ると、濃い緑色のネットをかぶって、どこかの学校の校庭が、立ち並ぶ住宅街の、奥まったところに姿を見せます。

――網目を透かして、グラウンドを走る幾人かの白いこどもたちの姿が、遠く遠くにぼんやり見えます。

たぶん何かの大会なのでしょう、徒競走をやっている。
――不揃いに横並びして、はしっていく白い体操着たちが目に映ります。一筆書きを見るように曲がっていきます。

そういう景色をみているうちに、わたしの脳裏の薄暗いどこかでは――タンポポの綿毛のようにささやかな火花が、花火みたいにぱちぱちとまたたき、わたしの神経の小径に――しずかに輝く霧雨みたいに、粉雪みたいに、降りそそいでいきます。

そうして、そうして――そういう奇妙な風景が、脳裏のどこかで生まれ出るせいで――グラウンドの向こうに見えていたこどもたちは、いまやますます曖昧になって、その分却って抽象的になっていきます。

しらじらと、瑞々しいヒヤムギのように、束になって流れでていく、曲線になります。

――するとあたりは暗くなります。

どこかの国の、遠くに見晴るかす山の麓から、輝く雪崩が、するるするると流れ出ていきます。

無数の宝石を飾りつけたジュエリーのように、うつくしい山肌。――緑や赤や、青色の樹木に覆われて、まるでオディロン・ルドンの、パステル・カラーの絵の肌合いです。

色彩豊かなその表面の、中腹のあたりは――ちょうど険しい渓になっています。そこでは細長い急流が飛沫を散らして、飛沫は砕けて、消えていきます。

遥か上には、朱塗りの和風の橋がかかって、そこを誰かが通っていきます(あるいは、きらきらしている、真新しいアルミニウムの鎖でできた、吊り橋だったような気もします)。

そういう誰かがすぎ行く橋の、さらに頭上を――さっき話した、なだれ群れなす曲線たちが、不揃に横並びしながら、なまめかしくすべり降りていきます。まるで神様の奇跡的な白い流しそうめんのようにね。

――瞳を凝らしてよく見ると、そのそうめんの束の上には、抹茶のように浅い緑色をした地衣類が、わららわららと現われていました。

――流れる麺とは反対に、麓のほうから頂上を目指して、覆い尽くしていくように、わららわららと昇っていきます。

その苔たちは、特殊な遺伝的組成を持った苔たちで、夜露の中で、蛍火みたいに、ほのほのと発光するという、性質があるのを、わたしはなぜだか知っていました。――夜露の中で、しめしめと発光している、妖しい苔の、緑色たち。

しめしめまばゆい水色や、銀の光や朱鷺色の光は、まるで古代の伝説を現代に伝える、星座のようにも思えます。――そう、星座です。そういわれてみると、苔の皮膚のひとつひとつが、実は何千度もの高温を持って、まばゆく燃える、恒星たちでできている、ミクロな宇宙だったらすごいなあと、わたしは思います。

――そういう宇宙の片隅のどこかにあるのかもしれない、住宅街で――することもなしに、ふらふらと歩きながら、わたしは輝くヒヤムギになってしまったこどもたちの流れる山麓を夢想しているのです。

すると、さっき駅のベンチの片隅のほうにこじんまりと座って、なんとなくこっそりと食べたばかりの、小さなお菓子を――セブンイレブンで買ったプチフィナンシェの、小さいスポンジの粒たちが、口の中にやわらかく滲んでいくのを、わたしはこっそり感じるのでした。

しめやかな知覚が、口の中でかすかに蘇っていきます。

それと同時に――ああ、春だからでしょうか――わたしは再び、プラットフォームのベンチに腰掛けている、自分自身に気付きます。

駅を取り巻く青空と、山手線沿線の、緑がかった風景が――春風に弄られ、しずかにしずかに騒いでいます。それを横目に、なぜだかわたしは、こどもの日頃に吸い込んだ、躑躅の花の、蜜の味のことを思いだしているのでした。

そういうわたしの回想の片隅で、それらの懐かしい花々は――ちょうどさっきのわたしのように、こっそり座って、咲いていました。――小さな小さな、東京、という言葉の招きよせる、市街地の記憶の、右斜め下の、片隅の方に、こじんまりと実在している、小平という名の、奇妙な街で。

――それはたとえば回想、という字の、想という字をひとにたとえて、その人の身体を横に二等分したら、その下に別れる、心という字の、裳裾のところにしがみついている、そういう区域の片隅です。

――その土地の、空から見ると、まるで蟻の足のように小さい建物が、その土地の中心に、まるでパルテノン神殿のように、据え付けられています。――そうしてその神殿は、小平第四小学校という名前をしています。

その白っぽい建物には、通学路、という名前の、入り組んだ白い迷路が、細々と続いています。

そうしてその道の片隅の、春になると、魔術的なまでにふんわりと瑞々しくなる生垣のどこかで――これらの躑躅の花々は、真紅の両手を、こっそり広げて咲いていました。

今の時分に思い返すと、躑躅の花たちは、両性具有の、まるでヒミツめいた天使たちのようでした。彼女(彼)たちは天国で新しい運命を生きるように命令されて、この世に派遣されてきた、美しい、ヒミツの派遣労働者たちにさながらです。

――これらのヒミツの使者たちは、みんな、躑躅の花の色をした、ドレスなのか制服なのかはっきりしない、意味不明の衣装を纏っています。そうしていつでも、空に向かって、踊り子のように両手を広げています。――そうしてわたしは知っています。彼女たちは、人の目には見えない動きでもって、手話で互いに、コミュニケーションをとっているのでした。

――まだ背の低い、淋しがり屋の、青白い子供だったわたしは、通りすがりに、その手話を覚えたいと、いつもいつでも思っていたことを覚えています。だけれど、彼女たちが最近わたしの夢枕に立って、デルフォイの巫女たちのような口調でもって、わざわざ古代ギリシャ語で説明してくれたところによりますと、それを覚えるためには、身体を植物的に進化させなければならないそうです。――大変ですよ。――だってそのためには、植物の手話を覚えたい、という、世にも珍しい欲望に囚われた、ハプスブルグ家の末裔よりも選び抜かれた、選良(エリート)たちの間で、何世代もの間に、緻密な結婚を繰りかえす必要があるそうですから。

――世代を超えて、生まれて死んで。まるで世代という名の編み物を編むように。

あたかも小さな縫い針が、表と裏を出入りするのを繰り返すみたいに。

――もう少し説明してみましょうか。――これらの、世代を超えた、奇妙な編み物の奴隷になってしまった、天使志願者の不思議な人々は――躑躅の手話を覚えることを最終目標に掲げて、人里から離れた場所に隠れ住みます。そこで彼らは、他の人類の歴史とは遠くはなれて、独自の文明を築き上げます。古代中国の、伝説に出てくる桃源郷みたいに。徐福の求めた、蓬莱の国のようにね。

――彼らはヒミツの国をつくります。ヒミツの街を作り、ヒミツの城を作ります。ヒミツの法律を作り、ヒミツの交通制度を整え、ヒミツの教会を造ります。――それにしても、こんな風になんどもヒミツという言葉を繰り返すと、ヒミツのあっこちゃんの歌が脳裏を流れるのは致し方ないことですよね。――テクマクマヤコンテクマクマヤコンテクマクマヤコンテクマクマヤコンテクマクマヤコンテクマクマヤコンテクマクマヤコンテクマクマヤコン

――はい、唱えたところで話しを戻すと、彼らは学校兼研究所であるところのヒミツの大学を作ります。そうして、手話を使いこなす躑躅の花の天使たちの住んでいる、不思議の国に旅に出ます。とはいえそれは、こことは別世界に存在しているので、学校の中でも、瞑想的な妄想、という名のテレポート技術を使えば簡単に移動できます。――えっ。具体的にはどうやるんだって?――もちろんヒミツのアッコちゃんですよ。

――そういうわけでその国は、どこかの漫画やアニメの登場人物もびっくりの、この世界のどこか彼方にある、躑躅科の植物たちの住まう奇妙な王国なのでした。

――躑躅科の植物たちが、実は案外人間的な、真の姿を保ったままで、生きていくことのできる、さっきのヒミツたちに輪をかけてヒミツな王国です。――それは赤や白や桃色で囲まれているヒミツ共和国です。――そこで、敬虔な学徒たちは、躑躅の精を装って、躑躅たちの中で生きていきます(躑躅のことは躑躅に習え、というのが彼らの標語です)。そうして、少しだけ躑躅らしくなって、生きて返った学徒たちは、学校の中にある教会で、同じように生還してきた、この精神的で魔法少女的な別世界修行者たちの中から、惹かれあったもの同士で対になるのでした。

ほら、ごらんなさいな。――仲睦まじい二人の様子は、まるでひとつがいの鳥のよう。そのまま彼らは、用意されている船に乗ります。到達地点は、西の国の果てにある絶海の孤島です。――その島は、原色の、色鮮やかな翼をつけた鳥たちが飛び交うことで名の知れた島。――あまりにも鳥たちの人口が多いせいで、鳥文明が発達して、その結果鳥戦争や鳥宗教が発明されているという奇妙な島です。とりあえず島という字は鳥という字によく似ているので見間違えやすいですよね。

その島の丘の頂には、古いオークの木で建造された教会があります。かぜにのって伝わってくるのは、オルガンの音色で奏でられていく、バロック風の鳥宗教曲です。――その出所を探って、背の高い雑草のように、さかさまになった鳥たちが、くちばしの先から美しく生えている、そういう島の坂道を歩いていきます。すると、わたしたちはそこで、北欧風の、古さびた鳥礼拝堂につきあたることでしょう。

その礼拝堂で、対の二人は、結婚式を挙げるのが決まりです。――新郎新婦は、鳥の頭部を人の頭の大きさにかたどった精巧なかぶりものをかぶって式に臨みます。それで、植物たちの手話に少しでも近づくために、二人は鳥の言葉で「ぴくー」とさえずり、語らい合います。――(だからさっきひとつがいの鳥のようだといったのは、勿論そういう理由です)。

――投げられたブーケの、結ばれたリボンは、しららしららと風に舞います。ブーケも鳥でできており、リボンも鳥の羽毛を編みこんだリボンです。――そうして集まった人たちも、ブーケに群がる若い女たちも、みんながみんな、鳥の頭をかたどったかぶり物をしています。――鳥にも色々いるんですよ。雀もいれば鳩もいます。ツバメもいれば、鶏もいます。カラスもいれば、アカハラもいて、アヒルもいれば、白鳥もいます。まるで種族を超えた鳥たちの共同体が、そこに現われ出たかのようです。

そうして幸せな結婚をした鳥たちは、以前よりも心なしか少しだけ躑躅色の肌をしている人間の赤ちゃんをきちんと産んで、そのまま育てていくのでした。

そういう風に、選ばれた躑躅のような、というか鳥のような人たちの、あるいは結婚式のために鳥の被りものを作る人たちの不断の努力は、尽きることなく重ねられていくのです。

最終的には、何百代もの下の世代の、何もしらない子供たちの手に、未来のすべては託されていきます。
――なにも知らない子供にとっては、たまったものではありませんよね。

それはさておき、躑躅の花の彼女たち(彼たち)は、年老いているのに幼子のようにつやつやしている、うつくしい肌色の珊瑚のような顔をしていました。

髪の毛もとても綺麗ですよ。――とても細いのにつやのある、躑躅の色の髪の毛です。――一般的には、ぱさぱさしている、赤毛です。

――彼らは、途方もないくらいに長い時間をかけて、世代交代と過剰適応とを繰り返しているのでした。――その途方もなさときたら、19世紀の進化論者たちも、びっくり仰天して、風になって消えうせてしまうことでしょう。――今現在のような、艶やかにして可愛らしい姿は、このように、種族レベルのたゆまぬ努力の末にあるのでした。そうして、そうして、この人たちは、年齢も性別も信条も曖昧なのにもかかわらず、植物らしい、明晰で美しい人たちです。

そう、あの白い神殿へと続いている通学路脇で、謎めいた手話で打ち合わせと歌合せとを繰り返しながら、何も知らないいたいけな子供たちを、今もふわふわ誘惑しているのは、例の明晰で美しい、だいたいそういう人たちなのでした。

そんな危険に晒されているとは露もしらずに、年端もいかない、お子様たちは、くだんの通学路を歩いていきます。――ほら、今もわたしを追い抜いていく子は、うつむき加減に、リコーダーで、子供時代を過ぎると忘れてしまう、外国の色々な音楽を吹いていますね。――リコーダーを吹きながら、うつむき加減に、でも意味もなく誇らしげな顔をして、通学の道を闊歩するのは、小学生だけに許された特権ですよね。――あの、初心者の奏でる、なんともいえない、素朴で拙い音色を思うと、何も知らない、恥ずかしい小学生だったあのころのことを思い出します。そうしてそのまま、忸怩たる恥ずかしさを、いい年をした大人になってから子供向けの駄菓子を食べるような気分で、味わうのです。

――とまで言ったものの、ねえ、小学生にも色々いるし、それぞれの生活があるし、プライドもあるし、遊びもあるし、生活もありますよね。――通学路をいく子供たちにも、ポケモン数え歌を歌う子もいれば、ムーンライト伝説を歌う子もいます。ヨーヨーをする子もいますよね。女の子同士で噂話をする子達もいる。飴をなめる子もいます。歩きながら、銀色の包装パックをさらさらと破って、コアラのマーチを食べる子もいます。

――ほら、あっちをごらんなさいな。あの子はコアラの足を少しずつかじっていくという、コアラのマーチを愛するものなら、誰もが避けては通れない悪事に直面しているところです。

――そのいたいけな心の片隅の、プラットフォームの片隅のベンチのようにこっそりしているところでは、コアラの身体を食したことに、おそらくは果てることのない罪の意識を覚えているのかもしれません。

――そしたらこの子は、無意識のうちに罪の意識を抱え続けて、生きて行くのかもしれません。あるいは、どこかでそれを自覚し、そうしてその罪を抱え続けて、生きていくのかもしれませんね。

――それでもいつかは、この子も理解する日がきます。コアラは今でも生きているのだと。――そう、コアラを構成していた、ビスケットだとかチョコレートの生まれ変わりである、炭水化物として、物理的な形で。――コアラという名の観念(イデア)として、精神的な形で。そうして、それから、コアラをかじったときに香りたつ、「かりっ」という名の乾いた響きと、甘いチョコレートの匂いと、やわらかくとろけゆくビスケットの匂いが織り成している、かけがえのない、すばらしい、あの瞬間の、物語として。

――コアラは今でも生きています。そうして、すべての原子や、観念や、感覚とまったくおなじに、消えたコアラは、未来の中にも、生まれ変わって現われていくことでしょう。

――でも今は、罪を自覚し、意識化させてしまった、哀れなこの子はコアラを思って、申し訳なさのあまりに、誰にも見られないように、夜寝る時にふとんをかぶって、誰にもばれないふとんの中で、一人でこっそり枕をぬらすのでした。コアラ、コアラ、と、つぶやきながらね――まったく、未来が思いやられますよね。

――というわけで、以上のように、かつてはプラトニックでさみしいお子様だったその頃のことを思い出すと、頬杖をつきながら、物思いに耽りたい気分になるわたしです。――さっきは駅のベンチにいましたが、この文章の外側ではだいぶ時間が経っていたので、今はオフィス街の中にある、空調の効いた休憩室で、同僚の挨拶を受け流しながら、自分の世界に、潜水夫のように落ちていくわたしです。――そうしてこの潜水夫はね――海の底に住んでいる、イルカとかクラゲとか珊瑚礁とか、それから水の底に沈んだアトランティスの遺跡だとかに、キッド船長やドレイク船長の残した海賊船のそこにある、古い財宝に、毎晩毎晩、会いにいきます。

――想像してみてくださいな。あなたは黒っぽい潜水服も着ないで、普段着のまま、まっさかさまに海の底に落ちていきます。――だけどちっとも水には濡れない、そうしてそのまま、色とりどりの珊瑚たちや、熱帯魚たちに出会います。――蝶のように、ひらひらしている熱帯魚たち。――新宿にある天然石専門の店にある水晶たちよりも、ずっと立派な、水底の、有機的な宝石たち。――哺乳類もいますよね。イルカやシャチにも出会います。クラゲや人魚もそこにいます。船乗りたちの幽霊も。ジュール・ヴェルヌノーチラス号にも、海の底を舞台にした古今東西のさまざまな物語の登場人物たちにも、出会います。――だいたいそういうやりかたで、いつでも沈んでいきたいものですよね。――そうして、そうして、そういう海の底では、空想されたパラレルワールドユートピアのように広がっていることでしょう。

そうしてそこでは、さっきのような、明晰な美しさの権化であるところの、躑躅の花の妖精たちが、ふわふわしている通学路が広がっているのに違いありません。

――それを思うと、お子様のようなわたしの気持ちも、ふわつかないではいられなくなります。

――それにしたって、植物というのはなんなのでしょうね。花というのはなんなのでしょう。毎年枯れては、同じようなところに生まれ出る、花というものの、若さを数えるのにはどうすればいいのか、わたしにはしばしばわからなくなります。花は個体と考えるべきでしょうか。それとも世代と考えるべきでしょうか。

――そして記憶も花に似ています。かつてのことを思い出しているとき、あるいはかつての記憶を利用して物語を作るとき、わたしは何度も、自分が時間旅行者になって、若返ったり、逆に年老いていくような気がします。

思い出し、そうして思い出したものを再構成して物語るとき、わたしの記憶の出来事は、まるで肌理の細かい絹糸の集合体に変えられていくような気がします。

――こういう言葉を綴っている時は、まるで器用で透明なゆびたちが、そこらじゅうで手仕事をしているみたいです。あるいは海の底にいる、色とりどりの小さな熱帯魚たちが、みんないっせいに集まって、ひとつの形をつくるみたいに。

――ちょうど、レオ・レオーニの絵本に出てくる、スイミーみたいに。たくさんの、たくさんの、色とりどりの魚たちがフォーメーションを作って、もっと大きな、別の形を作っていくような気がします。

――記憶たちは、出来事たちは、このわたしなんかよりもよっぽど協調性に富んでいて、屈託がない。

――わたしもスイミ―みたいになりたい。

――っていうかスイミーって言葉の響きが良いから、一回スイミーって言ってしまうとつい口がすべってまたスイミーっていいたくなる。スイミースイミースイミースイミー。ねえスイミー、わたしもがんばるよ。

――わたしもスイミーを見習って、人と助けあって素直に生きていくよ!

というわけで、絹糸たちはひとりでに織られていって、編まれていきます。――こしらえられては、方々で混ざり合い、化学反応を起こし合います。――出来事というのは、象形文字みたいに、思考の中で勝手にまざりあったり、重なり合ったりしていきますね。――そうして、この人たちは、結び付けられると、風に飛ばされ、神様のスプリンクラーから噴霧された、微粒子みたいに、環境全体に広げられていきます。

――スプリンクラーの飛び散る先には、時々見事な虹ができます。

気圧と湿度とその他の気候条件が織り成す魔法の中で――虹の橋を渡っていけば、わたしもオズの国にいけるだろうか、と、わたしは空想します。――そこにはドロシーがいます。臆病なライオンがいて、案山子の王子もいるのです。西の魔女がいます。オズマ姫もいます。オズの魔法使いの物語も、そんな風に、かつて人の記憶システムが編み上げていった夢の織物でできている、様々な気象的な条件が重なり合って、共同作業の果てに生み出された、虹のようなものなのでしょうね。

――そういうわけで、わたしは、自分の脳内で無数の虹を鑑賞しながら、感傷的なオズの国に旅行にいったり、旅行しすぎたせいで五月病にかかってしまったり、それをこじらせて、精神病になってしまいそうな、あやうい不安にふわふわしているのでした。――それから方々の街角を、唐突に退行現象を起こしたせいで、幼児のようにこじんまりしながら、年齢のみならず身長も低くなってしまったような気分で、不思議の国のアリス症候群を気取りながら、あてどなくふらふら歩いていたのでした。

それから時には、ばったり出会った自販機で、桃の天然水の透明なペットボトルを買ってひとくち、口にします。

――そうしてそのままふと気がつくと、再び周りの風景は、この話の最初のほうに出てきたあの山に、衣装替えして、目の前に広がっています。

――いつしか周りを取り巻いているのは、奇妙な顔をした、ターコイズの薄い色をした楢の梢たち。冷たいオニキスの色をしたブナの木たち。琥珀の色に凍り付いて、というかむしろ琥珀の中に閉じ込められているような、山桜の梢たちです。

――どこかから水の匂いが香ります。

――遠くの山の端では、さっきのきらめくヒヤムギたちが、いつまでもいつまでも滑り続けています。――不思議なことに、いつまでも滑り続けているはずなのにずっと同じ場所で、滑り続けています。

――気がつくと、あまり慣らされてはいない、薄暗い山道を、わたしの足は、歩いていきます。落ち着いた色彩に浸されている、けもの道を。――足元では、羊歯やワラビやゼンマイが、全身を広げています。ささやかな背丈で、様々な方向に向いている巻き舌のようにね。

道の途中では、植生に混じって、湿気て横倒しになったブナの樹が、足先に出くわしたりします。慌てて蹴躓いてしまいそうになります。――雨水の溜まった樹の洞の中には、小さい蜘蛛が、セピア色の巣を作っています。その糸からは、ところどころで滴が垂れて、あたりの景色を、球面レンズのように映し出しています。

そうして、そうして、たくさんの滴に囲まれたような気分で、映し出されだ景色の中を歩いていくと、かすかな風が、吹き付けてきます。――その風の奥からは、妖精たちの呼び声が、無言のように聞こえます。――それからそれから、途切れ途切れに、ヒミツのアッコちゃんの歌だとか、ムーンライト伝説だとか、尾崎豊だとか、direngreyや、みんなの歌や、宇多田ヒカルや、ブラームスのヴァイオリンソナタなどが、特に自分の趣味とは関係なしに、かすかに聞こえて、消えていきます。

それはわたしの幻聴でしょうか。――そういうことも、深くは気にせず、わたしは木立ちを歩いていました。――しばらく歩くと、向こうから、昔のJPOPやクラシック音楽に混ざって――しずかな音色が聴こえます。

――木立ちを抜けると、渓流のような、ごつごつしている岸辺に出ます。

そこでは、色とりどりの、ヒナギクイラクサ、ヒヤシンスやキンポウゲの花の咲いています。他にも、名前の知らない、小さな花々や植物が生えています。

――水音たちは、流行の色々な音楽よりもずっと身近に、でもあたらしい音楽のように、うたっているのでした。

その音たちは、なんの言葉もないはずなのに、何かを話しているような気がして、仕方がなくなります。

――見上げると、その遥か上には、赤い、朱塗りの橋か、そうでなければ、きらきらしている、真新しいアルミニウムの鎖でできた、吊り橋がかけられているのが、こっそりと見えます。

――その上を、またしても誰かが、歩いているのがうっすら見えます。それでも誰かは、わからないので、どうにかしてあの人の顔を見れないかなあ、と、切ない気持ちにわたしはなります。

――すると大きな、クラクションの音が鳴ります。――突然わたしの二の腕のすぐ傍を、白いホンダのハイブリッドカーが追い抜いていきます。――運転席から、少し几帳面そうな、眼鏡をかけた中年の男の人が、顔をしかめてこちらを一瞥します。――そうしてわたしは、ああ、危なかった、と思って、あの運転手は怖いなあと思って、そうして山の手線のどこかにある、住宅街のどこかにぽつんと立っている自分のことに立ち戻ります。――車はやっぱり怖いなあ、と情けないことを考えながらも、さっきの橋は、まぶたの裏に、まだこっそりと、揺れています。

――それでもわたしは、そのまま、学校の、学校に広がる緑のネットを、見るともなしに、なんとなく見ているのでした。

――こういうことがおきるのも、五月病にかかったついでに、一緒に仲良く、つがいの鳥のように、今年流行の最新型の精神病を、こじらせてしまったからかもしれませんね。――今月のヴォーグはお読みでしょうか。そこには、今年流行の、パリコレで大評判をとった、精神病のことが、傾向と対策と混ぜ合わさって、書かれています。まるで大学受験生の参考書みたいにね。

くしゃみの変わりに、空想を、高熱の変わりに、空想を、鼻水の変わりに、空想を。――だから、たったひとつのことだけ勉強すればいいので、案外対策は容易です。――でも、シンプルなものを窮めゆくほうが、窮める過程は複雑になって、言葉で言えば簡単であっても、実際にやるのは大変なのかもしれませんね。

などと言っているうちにもう5月なのでした。

あなたは5月というと何を想像しますか?

わたしにとっては、5月はね。――タンゴの節句と、ダンゴ三兄弟と、五月病、それから花粉症と、薔薇の香りのたちこめる季節です。

この街を過ぎると、花屋や家々の庭ではどこでも、薔薇の匂いが香ります。

――そういうわけで、最新流行の夢遊病状態になって手がつけられなくなってしまっているわたしのことなど、差し置いて、赤や黒のランドセルをしょった、黄色い帽子をかぶった子供たちは、リコーダーを吹いたり、ムーンライト伝説を歌ったり、コアラのマーチを食べたりしながら、追い抜いていくのでした。

彼らの今後の未来のように、そういう通路のところどころで分岐する、薄暗い小道のあちこちで――四才か五才のわたしのときに、躑躅の花を、はじめて見ていた、その頃の記憶が見出されるのも、それも五月のせいなのでしょう。

――五月はこどもの月だから。――わたしはそのまま思い出します。

そうすることで精神的な退行現象が引き起こされます。

――退行したわたしは、4、5才です。やっぱりふらふらしている子のままです。この少年は、薄いデニムのオーバーオールを着ています。――薄緑色の髪の毛で、あんまり育ちがよくないらしく、伸びっぱなしの髪の毛を、ぼさぼさにさせています。――身長もおそらく12センチくらいなのかもしれません――いや間違いです。120センチですね。――120センチと12センチを間違うくらい、勘違いしやすい年頃のこどもなのでした。

そう。4、5才のわたしは、とても勘違いしやすいお子様でした。

――たとえばX`mas tree、という字を見かけると、疑いもなくペケマスツリーだと読みこんでいました。それでも、たぶん何か間違っているのだろうとは、こっそりと思っていたらしく、決して誰にもばれないように(なぜならばれたら何となく恥ずかしいからです)心のなかで、ぺけぺけぺけぺけつぶやきながら、一人で無意味に喜んでいるような子供だったことを覚えています。

そう、おそらくは、ぺけって言葉が好きだったのでしょう。――だから、ぺけます、という言葉はきっと、ぺけという響きの大好きな人たちが世界中にいて、あらゆるところで、あらゆる場所に、あらゆる名前に、あらゆる事象に、おじちゃんからもらった水性マジックで、ぺけ、という字を書いていく行為を、丁寧語で言い表すことを、ぺけます、というのだろうと、何とはなしに、思っていたのでした。

――つまり、ぺけ、という言葉は、名詞であると同時に自動詞なのでした。

ぺけ、という響きの、無邪気で投げやりな雰囲気が、わたしはとても好きだったから、世界中の人たちが手をつないで、ぺけぺけぺけぺけ言っているところを、たとえば歯医者の待ち時間とか、ピアノのレッスンの待ち時間などに、何度も空想したものでした。

――今もためしに空想しましょう。世界中の人々が、地球という、この青いサファイア色した球体の、広い陸地のいたるところで――アメリカの荒野で、アフリカの砂漠で、ヨーロッパの森の中で、オーストラリアの珊瑚礁で、中国の万里の長城で、グリーンランドの氷山で――それとさっきから何度も出てくる、山手線沿線の駅のどこかで――いたるところで、礼儀正しく手をつなぎます。

そうして合図の時間になると、人類のみんなは一丸になります。

みんなは一声――「ぺけます!」と一声、合唱します。

するとそこには奇跡が起きます。――青い地球の表面に、大きな氷山の形をしている、光でできた、モミの木の形をしたかたまりが、要はうわさのペケマスツリーが、瞬間的に具現化します。

――すると、母なる地球を遠く離れて、太陽系の別の星だとか、別の銀河系に移住している人たちは――宇宙ネットワーク中継を、自宅のテレビのモニターで見守ります。

なつかしい、生まれ故郷の青い星で――同胞たちは、今も仲良く生きてるんだな、と、感激しながら、家族そろって、テーブルを広げて、美味しい料理を準備して、キャンドルを立てて、みんなのためのプレゼントを用意して、年に一度の、たのしいお祝いをするのです。――もちろん、もちろん、心の中で、ぺけぺけ、ぺけぺけ、つぶやきながらね。

――え?ぺけぺけいうのはもういいよって?

わかりました。それならもっと別の勘違いの例を出しましょう。

あれはわたしがまだ7才のころでした。

――7才のわたしは、死ぬことの恐怖と、性の恍惚に目覚めたばかりの、赤紫色の髪の毛と白い肌をしていました。まるで人類の不断の努力のおかげで、躑躅の花の天使にでもなったかのようななりをしていました。――そうして、そうして、風が吹いたらすぐゆらぐ、過敏なこどもだったことを覚えています。

おばあちゃんに連れられて(そしてこのおばあちゃんも今はもうこの世の人ではないのです)――駅へと向かうT字路を右折して、パルメザンチーズ、じゃなくて、パルテノン多摩、じゃなくて、パルテノン神殿のような小学校へと向かう通学路を通って、ふわふわしている花々たちを横切っていきます。そのいつものルートで散歩をすると――家の近所の、薄緑色の金網に囲まれている、とある空き地で――月極駐車場、と描かれている看板に、この歳の離れた二人連れは出くわすのでした。

そのたびにわたしは、それをゲッキョク駐車場、と、読んでいました。

わたしはすべてをわかっていました。――その駐車場は、ゲッキョク氏一族が所有する、駐車場なのです。だけど彼らは、唯の不動産会社ではありません。――だってどの街に行っても、その看板のある駐車場を、かならずかならず、横切ってしまうのですから。

――その頃のわたしは、幼いなりに、推測をします。――おそらく彼らは、月極一族は、にほんと呼ぶべきなのか、にっぽんと呼ぶべきなのか、どっちにすればいいのか全くわからない、そのせいで、そのうち、誰かから、「どっちなんだ!」と詰め寄られたら、一体どうやって答えればいいのかなあ、怖いなあ、と想像してみると怖くて仕方なくなってしまう、この広い国を影から操っている、資本階級の一員なのに違いないのではないかと。

――そうです。わたしの目には、彼らは千島列島津々浦々の駐車場その他の物件を所有する、巨大な不動産コンツェルンなのに違いないのです。

きっと彼らは、東証株式市場に一部上場しているだけではなしに、ウォール街の、ニューヨーク証券取引市場でも、一部上場しているのに違いありません(海外支社があるのです)。――そうして、世界中の牛の耳を引っ張るような、突拍子もないような勢いで、敵対的買収インサイダー取引を繰り返して、秘密の情報ネットワークを行使して、自分たちの支配地を広げているのに違いありません。

――かれらのヒミツのしきたりで――ほら、アッコちゃんの顔がうっすら脳裏に浮かびますが気にしないで――しきたりで、月極氏の元締めは、代々月極伯爵と呼ばれていました。――ムーンポール伯爵だと語呂が悪いので、ここではポールムーン伯爵、ということにしておきましょうか。

様々な断片的な情報を総合した結果、わたしは再び推理します。――このポールムーン伯爵は、おそらくは19世紀に、シベリアのツンドラ地帯にある街中で――日本の華族である月極一族直流にあたる、箱入り娘と、ロシア人貴族の間に生まれたのでしょう。――そうして、かくかくしかじかの過程を経てから、ベルリンに留学し、ドイツの観念哲学を学びます。当事大きな勢力を持っていた新カント派哲学、ベルクソン哲学、ブランキやバクーニンのアナキスムを、ドイツで学びます。――けれどもそのうち、ひょんなことから、不老不死の手術を受けて、帝政ロシアの打倒を目指す、フリーメーソン的な秘密結社の手によって、サイボーグになったのにちがいありません。

その後は、アメリカの悪い大資本家に騙されて、お金のすべてを摺られた挙句に、十数年もの間下働きをしたりしたのに違いありません。

そのうちロシアで、社会主義革命が起きると、スターリン体制下で、国家反逆罪の汚名をきせられて、東地中海沿岸のアナーキストたちに匿われたりしたに違いありません。

――つまりは長い下積みをして生きてきたのです。

――そうして今では、二十一世紀前半にいきている、このわたしの妄想の上では、二十五世紀後半ということになっているその世界では――徹底的に開発し収奪しつくされた後で、科学文明の死に絶えてしまった月の極地で――無表情な、メタリックな艷やかさを帯びている、銀色の鉱物に全身を被覆されている、静かの海で――その海を見渡せる、無重力ホテルの、ロビーの上から――ペケマスツリーの見事に広がる、青い地球を、ワインを片手に、見ているのでした。

「うつくしい星だな、わが妻よ。」
――その傍らには、奥方のポールムーン夫人が物静かに控えています。
ポールムーン夫人は、サイボーグになったご主人にふさわしく、精神以外はアンドロイドでできています。
「あの星の中では、みんなが手をつないで、ぺけますの呪文を唱えているのですね。」
月のイブニング・ドレスに身を固めて、2448年ガニメデ産のワインを片手に彼女は、伯爵の方を振り向いて、抑制をわきまえたまま、それでも何か感極まった調子で、言いました。

――彼女の視線の先にいる、ポールムーン伯爵は、三つボタンの、イングランドで仕立てた、上質のスーツを身に纏っています。
短めに揃えた髪型に、銀縁の、綺麗な眼鏡をかけています。

水銀灯のような、ルームランプの光の下で、何も言わずに、二人はしばらくたたずんでいました。

――伯爵は、神秘的で、瀟洒ないでたちに身を固めている、月を支配する、宇宙貴族です。――全国のお父さんお母さんから安定した支持を受けている、泣く子も黙るポールムーン伯爵、といえば彼のことです。――「そんなに親の言うこときかなかったら、月の奥から月の伯爵がやってきて、月に代わってお仕置きしますよ!さあさあ、早く寝なさいな」――だいたいこういう調子でね。

――でも、今夜はいつもと違っていました。

みんなから恐れられている、普段は陰気なこの伯爵も、今夜はどこか、穏やかな顔です。――奥方に向かって、やさしく伯爵はこう言いました。

――「もしも、我々の運命の紡ぎ手が、クリスマスのことをぺけますと勘違いしなければ。――もしも、月決めのことを月極と勘違いしなければ。――我々はここには存在しなかった。――けれども、今あの青い星の中に広がる、光の中では――人類みんなが、我を忘れて、みんなで仲良く手を繋ぎあっているのだ。」

――するとワインの代わりに、19世紀末ヨーロッパ趣味の、淡い色をした扇で口元を隠しながら、その奥方も答えます。――「それはもしかしたら、たった一瞬のことかもしれない――それでも、この些細にして偉大なる勘違いのおかげで、地上には実現不可能な光景が実現されて、わたしたち自身も、この恩恵にあずかっているのですね。」

――「そう考えると、勘違いというのも、そう捨てたものではないような気がするのだ。漢字の読み方を間違えたり、何かの出来事の感じを読み違えたりすることもな。――間違えた場所から、間違いを認め、それでもその場の間違いや正しさを超えた何かに憧れることが、その憧れを守り通して、そうして形にしていくことが、我々の文明を、ここまで育ててきたのかもしれない。――我が妻よ。我々がこうしてここにいることも、こうして小説の登場人物にされて誰かに読まれていることも、そそっかしい運命の勘違いの結果にすぎないのかもしれない。だが、それはそれで、素晴らしいことだとは思わぬか。――勘違う前よりも、勘違いだったという事実よりも、それよりももっと素晴らしい出来事に、こうして出会うということが。」

――すると夫人は雅やかに笑ってこういいました。
「そうね。それでもわたしは思うのだけれども、運命という方はちょっと勘違いが多すぎのような気もいたしますわね。」

――「だとしたら、月に代わってお仕置きしなくてはならんかもしれんな。なかなかゆっくりできないものだな。」

「あら、そんなに軽々と人をお仕置きなさらないで。――あなたがそんな風だから、必要以上に、何も知らない子供たちから怖がられてしまうのです。そうしてますます悪い勘違いをされて、ますます一人になってしまうの。――ねえ、それよりも、わたしたちも、あの地球上にいる人たちと一緒に、ぺけぺけ、ぺけぺけ、つぶやいてみたいわ、ねえ、いいでしょう?」

「――ああ、いいとも、というより、すでにわたしもさっきから、心の中で、心の中にある山の手線のベンチに座って、こっそりぺけぺけ、つぶやいていたのだよ。」

――「まあ、意地悪な人ね。わたしに隠れてつぶやいていたなんて。――むしろあなたが、月に代わってお仕置きされてよ。」

「ははは、こいつは一本取られたな。いいだろう。我々も一緒につぶやこう。」

――そうして二人は、もうそれ以上は何も話さず、飴球みたいに、青い地球を、ぺけますの奇跡が発生している、水の惑星を、眼差していました。もちろん、もちろん、小声で、ぺけぺけ、つぶやきながら。――大貴族らしく、慎みを忘れず。二人だけにしか聴こえないくらいに、ささやかな調子で。

     *  *  *

――というわけで、以上のように、鳥のように仲睦まじい宇宙貴族夫妻の話はここまでです。如何でしたか。

――こんな空想をしている7歳のわたしは、この鳥のような夫妻のまなざしの先にある青い星の、小さな小さな片隅にある、絵本だとか、すっぽんだとか、とにかくぽんぽんした言葉をなんとなく連想してしまう、小さな国の、東京という名の小さな街に、住んでいるのでした。

――なぜ小学校の低学年の時のわたしが、あんなにもお嬢様的なものに惹かれていたのか、その辺は謎です。

――中央線の、国分寺駅から脇に延びている、西武多摩湖線沿線は、いたるところで、蔓草にまとわりつかれています。

わたしがいつか、子供のころに住んでいた、一橋学園駅の、存在しない家の近所は、いたるところで、碧い水晶に侵食されています。そこでわたしは、昔郵便局に勤めていたおばあちゃんと一緒に、いつものルートを歩いていきます。

――わたしもおばあちゃんも、珊瑚のような、躑躅のような、スイミーみたいな、そういう色の髪の毛で、クリーム色の肌をして、光の差し込む海の底のような瞳をしています。

その瞳はまるで、ぺけます効果の起きた時の地球のように、スター・サファイアの輝きです。

推測ですが、きっとわたしもわたしの家族も、恋人も、友達も、これを読んでるあなた自身も――この世界では、そういう姿をしているのに違いありません。

途中には、以上に述べた、神秘的で鳥のように仲睦まじいポールムーンの一族が、影響力を行使している、つまりは月極駐車場の看板が、水晶のように立っています。

見上げると、真昼の月が、雲ひとつない空の青みに、架けられています。

するとわたしは、25世紀の遠い世界で――あのものしずかな、淡い色のついた水晶のどこかで生きている、鳥のように仲睦まじいがゆえに、言い忘れていたけど実は時々は鳥の被り物を被っている、伯爵夫妻の高貴な姿と、その語らいとを思います。

するとわたしの脳裏の薄暗いどこかでは――タンポポの綿毛のようにささやかな火花が、花火みたいにぱちぱちします。この神経の小径に――しずかに輝く霧雨みたいに、粉雪みたいに、降りそそいでいきます。

粉雪みたいに、粉砂糖みたいに、パルメザン・チーズみたいに、桜の花びらみたいに、蝶々みたいに。――きらきら輝く、ヒヤムギみたいに。

きらきら輝く、宇宙のまばゆい、流星雨みたいに。

* * *

――そうしてそのまま、勘違いしやすい年頃のわたしは、最新流行の夢遊病状態になって――五月のあらゆるファッション雑誌に、説明付きで、掲載されます。

(2012年)

 

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