感情についてのノート1

感情についてのノート1

ツイッター @sensationsaki に書いた記事の転載)

人は自分の思考の癖を持っています。嗜好の癖も、何かに対する志向のくせも、試行や施行する時の癖も、あと自覚はしてなくても食生活や口内の環境によって歯垢の癖も持ってしまいますね。

こういう思考やこういう感情を持ちやすい、という身体の状態や気分の時があります。なので考えるより体を動かした方が良い場合と、周りの事を全部シャットアウトして考える方が良い場合がある気がしています。

私は自分の思考の癖とか感情の癖に苦しめられる事が多く、それで辛い思いをする事が多かったのですが、同じような思考を繰り返している時に、それにできるだけ早く気づくことができるかっていうのはとても大事だと思います。

感情の癖について言うと、最近読んだこの本が面白かったです。

 

人間の記憶には、言葉で説明できるような出来事についての記憶(脳の海馬などが担当)と、ある出来事が起きた時に抱いた感情について記憶している部分(情動記憶と呼ばれ、脳の扁桃体が担当)があるらしい。情動記憶は、具体的なエピソードを細かく覚えてないけど、感情は詳しく覚えているようです。

ものすごく感情が揺さぶる出来事があると情動記憶の方が強く働くけど、代わりに出来事の細部の記憶は曖昧になったりするらしいです。例えば犯罪事件の被害者の証言が曖昧だったりすることが良くあるのはこの仕組みに関係していそうですね。

感情を揺さぶる出来事に強く関連した出来事に出会うと情動記憶の方が強く働き、その時の自分に引き戻されるっていうのがあるとは言えそう。しかも感情は神経系やホルモンや脳内物質などを通して体の反応(動悸や汗やめまいや胃腸の働きなど)と関係するので冷静になれなくなる。

これは悲しみや怒りだけではなく、喜びにも同じことが言える。情動記憶の方が、即座に強く働きかけるので、過去の体験と照らし合わせて危険を察知したり、安全な場所や状況を見つけるのに役立つことも多い。

逆に過剰に反応してしまうこともある。それは悪い事ばかりではなくて、危険に対して過剰に反応できた方が、安全につながりやすい。そういう仕組みを知っていると、自分の感情に任せた行動や判断に対して、不正確だと非難するのではなく、却って合理的な行動だったと赦すこともできる。

感情と理性を対立させることが世の中には多いけれども、むしろ感情と理性の間でうまくバランスを取り、お互いを生かせるようにするのが大切なんだろうなとここ2年くらい考えることが多いです。