アルバムを作った経緯について

概要

 

 ギターとボーカルのみで録音しました。ただ普通その言葉から連想される音楽の対極を目指したところがあります。ジャンルが分からないわりには聴きやすく、また一聴の価値ありのアルバムになったと思います。是非きいてみてください。

以下は今回のアルバム全体についての解説です。色々な説明をしたところで、魅力を全部説明できるなら音楽を作る必要もないし、音楽の力は説明とは関係ありませんよね。

なので以下はアルバム聴いて興味がわいた方が読んだら面白いかもしれません。逆に以下を読んでからアルバムを聴くのも、こういう風に作ったんだなとわかるので面白いかもしれませんが・・・

 

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【アルバム解説】

 

アルバム名について

 

サンサシオン、というアルバム名は昔その名前のバンドを組んでいた所から来ています。「感覚」とか「反響」を意味するフランス語です。英語だとセンセーションですね。どの曲も、10年位前に同名のバンドをやっていた前後に作った曲。それにアレンジを加えたものです。なので、歌詞も昔作った歌詞で、当時と昔とでは、ものの考え方や感じ方が変わった部分もあります。ある程度歌詞を変えてはいますが、だいたいは同じです。歌い方や演奏の仕方を通して、昔書いた歌詞を当時とは別の立場から振り返っているような所があります。

 

アルバムを制作した経緯

 

今までボーカロイド曲やDTM曲ばかりだったのになぜ弾き語りのアルバムを作ったのか。それには事情があります。実は以前バンドを組んだり、ギター弾き語りで歌っていた時期があったのですが、当時私生活のゴタゴタや音楽的な限界を感じたことから、それを続けることができないと思うようになりました。でもその後、紆余曲折を経て、PCを使ったレコーディングやミックスがある程度できるようになったこと、当時とは時間がだいぶ経って、音楽に対する考え方も変わり、そのことを通じて昔とは違う歌い方ができるようになったこと、などからアルバムを制作しました。

なので、今回のレコーディングにはこれらの曲を作っていた頃の自分に対する回答ないしは過去の清算、という側面もあります。
とはいえ、やはり音楽に対する考え方の変化が、一番大きい気がしています。

 

音楽に対する考え方の変化について

 

昔はただ新しい音楽や美しい音楽、ないしは自分の感情や生き方を誠実に表現する音楽を作りたいと考えていました。今でもそういう思いは強くあります。

でも、それとは別に、音楽には、

普段の自分にはできない機能があるなと最近は感じています。
それはどんな機能でしょうか。

録音されれば作品としてそれは残ります。
そしてそれが、素晴らしい作品であれば、
私とは全く無関係に、私のいないところでも、
極論すれば私の死後でも、作品としての機能を果たすでしょう。

 

それは、人を元気づけたり、慰めを与えたり、
何か美しいものを感じさせたり、
そして本当に優れた作品であれば、
人の現実を超越したり、人の現実のみじめさや醜さを補ってくれたり、赦しを与える事さえもできる。
それは聴いた人自身の人生を認め、肯定することができるでしょう。


しかも、それは、このわたし自身の限られた身体、

価値観や意識や時間や空間を超えて、
わたしがもう会えない人たちにも、

わたしがこの先会う事も知ることも決してない人にも、
わたしが愛せない人にさえも、
届きうるものです。

 

そして、たとえ届かないとしても、
その方角を向いて、歌い演奏することができるものなのです。

 

もともとそういうものだからこそ、

古代から人は死者や動植物や神に向けてさえも、

大地や星に向けてさえも、歌ったり演奏してきたのだと思います。

 

そういう作品を実際に作れるかはわかりませんが
そこへ向けて作ることはできるし、
演奏したり歌う事は出来ます。

そして音楽は、それが一定の空間全体に鳴り響くものであるために、

人の感じる空気を具体的に変え、
人の喜びや悲しみや、

そしてもっと色々な感情によりそうための場所を与えてくれます。

 

随分大げさな事を書いてるなと思う方もいるかもしれませんね。

でも、それも大事なんです。
音楽はわたし自身じゃないから、どんな賞賛を受けても、

どんな非難を曲が受けても、

わたし自身が気にすることはあっても曲は気にしません。

わたしがどんなに大げさな説明をしたところで、

曲は極端に言えばそこから自由です。
聴いた人の好きなようにその人の中で位置を与えられる。

 

そういうことを考えるようになってから、
歌い方が変わり、そしてこれは、
作品として残す価値があるように思えたのでした。

 

なぜギターとボーカルだけなのか

 

わたしはもともと一人で演奏している音楽が好きです(勿論アンサンブルやバンドも好きですが)。
戦前のアメリカのブルースやフォーク、ギターと歌だけで独自の世界を作り出すシンガーソングライター。
ジャズでもクラシックでも無数のピアノやギターの独奏曲がありますよね。
そういうものに匹敵する音楽を(楽曲も演奏も)作る、というのが、昔のわたしの夢でした。

 

やった工夫

 

昔はもっと叫んでたり切なそうな感じだったのですが、叫ぶかわりにファルセットを使ったりして、圧迫感は減らしました。ボーカルもギターも歌とギターで別々に録音し、何度も繰り返し演奏し、部分的な録音をつなぎ合わせて、加工したものです。
なので、ライブで演奏は難しい、そういう音源になっています。今後は歌詞もアレンジも編成も、もっと別のものを作りたいと思っています。

今後も色々な意図をもって色々な音楽を作ると思いますが、今回のアルバムは、今後の活動のための核になるような気がしています。

 

まとめ

 

これは音楽を作る時にいつも感じることなのですが、出来上がった音楽は、たとえ一人で作っていたとしても、私だけで作ったとは言えないと思っています。そして、歌詞や曲のもとになった個人的な体験をくれた様々な人たち、一緒に音楽活動をしてくれた友人たち、音楽に影響を与えた様々なバンドや音楽家たち、公開前にこれらの曲について色々指摘してくれた友人知人たち、そして、これらの曲を聴いてくださった皆様に感謝しています。本当にどうもありがとう。

 

今回の音楽は、過去に自分なりに区切りとつけたい、という動機がかなりあります。それには成功したと言えますが、それとは別に、わたしには音楽で目指したい理想、音楽を通して他人を肯定すること、があります。今回はそこまで行けてるかはわかりませんが、スタートラインには立てたような気がしています。

わたしがどんなに尽くしても、誰からも好かれるような音楽は作れない。でも、どうかこれらの曲が、これらの曲のむこうにいる、あなたにとっても(あなたがどんな人であっても)、価値のあるものでありますように。