感情についてのノート3

アリストテレスの演劇論から見た鬼滅の刃について

この記事は前回の続きというか補足です。

pagansynonym.hatenablog.com

 

前回の能の物語についてもう一度振り返ってみます。

幽霊を浄化する、記憶を昇華し消化し消火する。それは記憶の効果的な解放と再現によるものです。それは後から解釈され、物語られます。再現されたものは、現在から新しい視点からの光を当てられる。そこには、その感情を生み出した関係性についての見晴らしが得られます。

 

実はこれととてもよく似た話をしている人がいます。世阿弥は東洋最古の演劇論として風姿花伝を書いていますが、西洋最古の演劇論を書いているアリストテレスです。

アリストテレスは演劇のジャンルとしての悲劇を定義しました。それは

 

一定の大きさを備え完結した高貴な行為を再現したもので、歌曲や音楽、韻を踏んだ言葉などを使用し、叙述ではなく行為によって行われる。観客は再現される出来事の因果関係を理解し、あわれみとおそれを感じ、カタルシスを覚える。

 

というものです。

 

 

アリストテレスの悲劇論はこちらです。演劇や文学や映画について考えたい人には参考になるものが多い古典です。 

 

 少し前に古典新訳文庫からも出ていました。

 

詩学 (光文社古典新訳文庫)

詩学 (光文社古典新訳文庫)

 

 
さて、ギリシアの悲劇において、観客は音楽やリズムによって彩られた行為によって、リアルに表現された因果関係を理解します。理解した時に、憐れみや恐れなどの強い感情が呼び出される。発露した感情は浄化されます。そこには感情を出した喜びがあります。観客は演劇という枠の外側から安全にそれを踏まえて楽しむのです。

 

ここでいう理解とは何でしょうか。根本的には人間のあり方、世の中のあり方を理解すると言えるように思います。理解というよりは解釈なのだけれども、それは体験を通した解釈なので、普通の解釈よりも強くせまるものになる。そしてこれは、人間や世の中のあり方を、演劇を通して学ぶことでもあります。

 

ギリシャ時代の演劇は、祭りの日に上演されました。演劇は専用に作られた劇場で、演じる俳優も、シナリオに合わせて集団で決まった台詞を行ったり歌ったりするコロスという役割も、ポリスの市民が演じました。観客も市民だったわけですが、それは物語と感情の共有を通じて、市民が結束し、また教育させるもの、教育的であり社会的な効果を持っていたのでしょう。(注1)

 

そこで思い出すことがあります。

 

 去年今年(2021年1月現在)鬼滅の刃が社会現象になりました。この作品を、アリストテレスの悲劇論を踏まえた上で考えると、分かりやすく説明できる気がします。

 

 この作品における鬼は能における幽霊のような存在です。鬼が倒されて負ける時に、鬼になった経緯が語られ、読者はそれを理解します。理解を通じて、敗者の境遇に対するあわれみとおそれ、そしてカタルシスを覚えます。そしてカタルシスを通じて倫理的なことを学びます。

 

倫理的な事とはなんでしょうか。この作品においては、具体的には悪人ではなく罪を罰する事、悪を犯す人間の内面のプロセスや環境を考えること、愛についての絶望や行き違いが人を悪に走らせること、ふつうの人間がささいな出来事がきっかけになって道を踏み外してしまうこと、人生には避けられない不幸がどうしてもあること、そしてもちろん、努力や友情、家族愛、弱者や不幸に対する思いやり、といったような普遍的な徳性の価値です(とはいえ特に物語終盤については、むしろあまり同情の余地を感じさせないような鬼が出てきますが)。

 

それらは実際の社会生活に役立つような認知ばかりです(長男は次男が耐えられないことも耐えられる、のかどうかは謎ですが)。また、同じ作品を鑑賞して楽しむ事で、鑑賞する人間同士は一体感を持つことができ、作品を通してコミュニケーションをとれます。

 

・・・逆に鬼滅の刃を見ていない人を非難する、キメハラというキメラみたいな言葉さえも生まれてしまったようですが、この作品が社会現象になるまで物凄くヒットしたのは偶然ではないと思います(注2)。貧富も学歴も右翼左翼も性別も年齢も関係なく受け入れられやすいところがあるからです。しかしそのような作品はあまりないのではないでしょうか。

 

映画やテレビドラマ、アニメ、小説、漫画。社会を統合する力があり、感情の力学を通して人間のあり方について知らせる力を持つもの。今後もそういう作品を人々は求め続けていくことでしょう。

 


(注1)アリストテレスは、しかしながら、現代の基準で見ると非人道的なところが色々あります。たとえば奴隷を生きた道具とみなしたり、明らかに男尊女卑的な価値観を持っていたりします。ギリシャの民主制は、民主主義のひな型として賞賛されがちですが、その民主主義を構成していたのは、ある程度のお金を持っている成人男性の市民に限られていました。

 

(注2)私自身はこの作品は都合が良い展開が多いなと思ったりするのですが、色んな意味で都合が良いからこそヒットしたのかもしれません。鬼滅の刃の欠点を色々批判する人もわりといると思います。批判の中にはうなづけるものも色々あるのですが、この文章では鬼滅の刃の作品としての完成度は脇において考えています。