note転載20 石田三成とアセンション

それは随分古い、昔の話だった。まだ帝(みかど)が京の御所におわして、けれどもこの国の権力は武家政権のものだった時代の、遠い話だった。時代の趨勢を決める、大きな合戦が関ヶ原で起きた。血と硝煙と、人馬と土ほこりとがあたりに立ち込め、悲鳴と怒号、剣戟の音と銃声の行きかう合戦は、五大老の筆頭、徳川家康を総大将とする東軍の勝利に終わった。西軍の総大将の石田三成は、落ち武者になった。今や敗軍の将となり、もうずいぶん長い間、迷路の中を、灯も持たずにさまよっていた。確か、本拠地の城まで帰るために、大きな黒い森のなかに、手勢と一緒に足を踏み込んだところまでは覚えている。けれどもいつしか、家臣たちの姿は見えなくなった。乗っていた馬も消えていた。気付くと三成は一人で暗い道の中をさまよっているのだった。

少し生ぬるい風が顔面をものうくなめずっていく。もう随分長い間、真っ暗だった。三成はどこかの洞窟の通路のようなところを歩いていた。そしてその風は、通路の天井に張り巡らされていた青銅色の長い筒のようなものに、ところどころであいている穴の中から漏れでてきているようだった。どうしてこんな場所に迷い込んでしまったのかはわからなかった。

何かの音が鼓膜を掠める。パチパチと爆ぜる音だ。どこかから聴こえる。かすかな刺激臭がもやもやと立ち込める。硫黄と肉の焦げるような匂い。色使いでいえば、粘液質の、赤味のかかった紫色、というような感じだ、全体的に人の気を不愉快にさせる躰の匂い。けれども、しばらく歩いていくうちにしだいに強まっていくこの悪臭は、その強さに比例して、三成の気分を昂揚させた。もしかしたら出口に通じているかもしれない、という甘い期待を、けれどもたしかに確かな期待を、ようやく自身に抱かせたからだ。

実際、出口が見つかるまでに、そこまで長い時間は必要なかった。ものの五分とかからなかった。壁が終わりになっていて、その向こうには、月の光に照らされているのか、少し明るい空間が見えた。三成は走って近づいた。胸を弾ませ、息を切らせて。

とても開けた空間が、出し抜けに拡がっていた。その向こう側には、とても大きな広場が拡がっていた。――おそらく出口のほうから遠く見渡せば、通路の口は大きな断崖の中途に刳り貫かれた穴のようになっているように見えただろう。

――三成が、洞窟の口から見下ろしている、その広場には、いたるところで、無数のLEDの標識が、間隔を開けられて点滅していた。まるでどこかの空港のように、赤、青、黄色の、様々なランプが、五角形の組み合わせに規則正しく区画されていた。三成が空を仰ぐと、一五夜の月が、端正な円形を描いて、煌々と地上を照らしていた。自分の体を遮ろうとしている綿のような朧雲から、ひとり離れて。

――これは一体何事だろうか、と三成は思った。――すると不意に、彼は自分が石田三成、という人間ではなかったのではないか、と思い始めた。自分は今まで思っていたのとは全く別の人間で、本当は、石田三成の血を受け継いでいる、自分のことを石田三成だと思い込んでいる、石田洋介、という、東京都から300キロメートル程離れた小島に住んで、オカルティックな超古代文明を研究している、大学院生なのではないか、と思い始めた。彼は、自分は古代アトランティス文明の子孫で超能力者なのだという、誇大妄想を信じ込みながら地道な研究を続けている、孤独な青年だったのだ。

――そう思ってみると、三成は、自分がいつも大切にしていた、猫のようにピンと張った口ひげもなくなっていたし、来ている服も、黒っぽいポロシャツにデニムのジーンズであることに、気づかないわけにはいかなくなった。

――けれども、そうだとしたら、俺は、拙者は何ゆえ三成なのか?――三成、というか石田洋介は自分で自分がわからなくなって、両手で頭を押さえつけて空を仰いだ。

空の上では、冬の星座が、美しい姿で、様々な古代の伝説の登場人物たちを象徴しながら、きらめいているのが伺えた。――ぼんやりと青年の脳裏で、脳神経だけが活発に運動していた。あれは大熊座、あれは、水瓶座――あれは乙女座、あれは射手座だ。――なんてきれいなんだろう。ああ、星空はいいね、見ているとなんだか乙女チックな気分になってきて仕方がない――うーん、きれいだ、とてもきれいね、とってもすてきね――けれども・・・だけども・・・そうだ、これはもしかするともしかするぞ――ひょっとしたら、自分は石田洋介なんかではなく、石田三成だと自分の事を思い込んでいた石田洋介という青年の、前世の記憶を持っている、石野洋子という名前の、16才の女子高生だったのではないだろうか?――つまり彼女は、星座にまつわる古代ギリシャ神話の表面的には乙女チックなエピソードの事ばかり考えながら、それから今晩の夕食の献立は何ししようかなどと考えながら、部屋の中でしずしずと編み物をするのが好きな女の子なのだ。

だけれど、本当に、そうなのだろうか?――自分自身についての様々な想念が脳裏に去来しては過ぎ去っていくのに苦しんでいると、そのうちに――まぶしい光に、次第に自分の眼がなれてくるのを洋介もとい洋子は感じた。

――すると向こうで、向こうの広場で、アリーナみたいに、巨大な広場の中央で、何か随分大きなものが、黒々している塊になって、のっしりとうずくまっているのが、洋子の瞳に浮かび上がった。――まるでそれは脂肪肥大症を患った巨大な犬の、横倒しになった肉体のようだった。ちょうど、F・ゴヤの描いた化け物の絵にそっくりだった。――あるいはレオナルドダヴィンチの描いた化物の絵だろうか、それともフランシスベーコンの描いた化物だろうか?

――なにはともあれ、この薄暗い化け物の肉体には、何かちいさい黒いものたちが、びっしりとへばりついているのが、しだいしだいに、はっきりしてきた。

――それは斑模様になって大量に群がっていた。洋子はそれを見て、なんとなく死んだ蛇とかネズミの死骸に、蟻たちがわらわらと蝟集している様子を連想した。というのも洋子は童心を忘れず、戸川純の歌などが好きなこどもだったので、昆虫とか死骸とかをみてもそこはあんまり気にならないのだった。

――目が慣れてくると、それは銀色の、人の形をした細長い生き物たちのようだった。

――ああ、だけど、これは不思議ね、ひょっとしたら、あの生き物の一匹一匹が、自分自身の、前世だったり、来世だったりするのではないかしら?――あるいは、あの生き物の、一匹一匹が、実は自分の煩悩だったり、前世で抱えた、カルマだったりするんじゃないかしら、と洋子は思った。

――これらの小さな黒い生き物たちは、各々槍だとか斧だとか銛だとかを振り回しながら、いかにも神経質そうな様子で忙しなく動いていた。そうして、大きな化け物の、ぶよぶよしている浮腫んだ皮膚に、振り回していたそれぞれの得物で、われさきがちにと突き刺していたが、なんとなく、洋子にとっては、以前どこかで 見たことがあるような気がしてくるのだった。

――すると彼女は、本当は16才のあどけない女子高生なんかではなく、ある日突然空飛ぶ円盤に誘拐されて、謎めいた宇宙人たちに無理矢理外科手術をさせられて、石野洋子という名前の、実際には存在しない人間の記憶を植え付けられた、中村太郎という名前の、北海道で牧場を経営している、茨城県出身の42才の中年男性だったのではないか、と、今度は思えてきて仕方がなかった。

――そうして、今目の前に広げられている光景は、倒錯的な欲望を抱いている中村の抑圧された現実の解き放たれた夢なのであり、あるいは、自分の体に謎めいた得物を次々に突き刺していく、彼を誘拐した身長数センチの宇宙人たちの姿が、妄想の中で歪曲させられて、宇宙人から解放された後で、宇宙からの交信のことだとか、隣近所の徳川さんが実は、宇宙人たちのための人類家畜化計画をたくらんでいる秘密組織のエージェントなのだ、などという隠された真実を廻りに吹聴しすぎたせいで、最終的に精神病院に入院している中村が、夢のなかでフラッシュバック発作を起こしているだけなのかもしれない、と自分を中村だと考える石野洋子は考えてみた。

――神様、あたしをお救いください、と洋子は思った。というのも、中村の脳内に植え付けられている洋子の記憶に間違いがなければ、洋子は毎週日曜日に、トラピスト修道会の協会に熱心に通う、敬虔なカトリックの信者だったからだ。

――けれどもそうするうちにも、宇宙人なのかもしれない大勢の小人たちは得物使って化物の肉体を突き刺していた。突き刺さるたびに、ぶつぶつぶつぶつ、くぐもった肉の、感触が響いた。

――青紫色の血の噴水が、そこここで生まれて、皮膚を伝って、雨だれみたいに流れて落ちた。

――まるで遊園地みたいだべ、と中村はなんとなく思った。さっさと牛の世話さしなくちゃなんねーのに、どうしてさオラはこんなとこにいるっぺか――実際この化け物は本当に大きくて、全長四十メートル以上はあったけれども、そういう様子は、中村が牧場で飼っている、牛の様子によく似ているのだった。けれどもやっぱり牛ではなかった。

――閉じられたまんまの、分厚い瞼と鼻面の様子で、化物の頭はかろうじて頭と見分けることができる。だけれど、あまりにも浮腫みすぎて、他には大した区別もできず、犬というより、牛というより、ほとんど脂肪の塊だといったほうがしっくりしていた。

――しばらくすると、この化け物たちを好き放題に餌食にしていく、小さな生き物たちの肉体は、方々で一斉に青白く発光し出した。彼らの光はとても暈が大きかったので、化け物の肉体は、青白い光に包まれてしまった。というか、むしろそれらはもはや一体の発光している肉の塊に過ぎなかった。――かと思うや、死んでいたと思われていた化け物の身体は、光の中で急に動き出して、身体を捻らせ「うおおん、うおおん」と、唸り声を上げていた。同時に、「ブーン、ブーン」と、大きなモーター音のような轟きが響いた。

満月は、相変わらず澄んだ光を放っていた。秋の乾いた空気のせいか、星たちのかがやきも、妙に明るかった。――そこで中村は思った。ひょっとしたらおらは、中秋を過ぎたある晴れた日の日曜日の朝に、いつもどおりに鏡を見たら、あまりにも自分の顔が石田三成に似ていている気がして仕方がなくなってしまった、埼玉県朝霞市在住の32才会社員、物販会社の経理部門で働いている、棟方光四郎の夢の中の主要登場人物なんでねえか、と思えてきて仕方がなかった。

証拠に、ずっと前まで自分が石田三成だったような気分と、同時にやっぱりそういう人間でもなんでもないような気がして仕方がないし、さっきまで落ち武者になって、追ってを振り払って逃げているうちに、ダンテの神曲の冒頭のように、謎めいた暗い森の中に足を踏み入れてしまったような気がするかと思えば、同時に、さっき王将でラーメンを頼んでいるうちに、過労がたたってウトウトしていたような気がしてしょうがないからだった。――けれども、それでも、なにはともあれ、棟方光四郎は立派な社会人なので、中華料理屋で居眠りしていた自分の事が、情けなく思えて仕方がないのだ。

――気がつくと店内はとても繁盛していて、餃子の匂いとラー油の匂いが立ち込めていた。俺の人生はなんなのだろう?――こんなに餃子とラー油に、酒とタバコに、家のローンと妻の愚痴に巻き込まれたままで。――落ち武者になって殺されるとしても、こんな人生を送るよりかは、関ヶ原で西軍の総大将になっていたほうがよっぽどましだったんじゃないか?

――などと考えているうちに、憂鬱な気持ちになってきた棟方は、店の中に据え付けられている、大きな鏡を、なんともなしに、そっと見つめた。

するとどうしたことだろう!――見ているうちに、鏡の中は、気付くと彼が、さっきまで彼が、夢の中で、ずっと見ていた、大きな暗い、空港に似ている広場になっているのだった。くだんの化け物は、青白い光に包まれたままで、急激に形を変形させていくのがわかった。――はじめは、肥満した犬の姿のはずだったのに、足はいきなり細長くなり、脂肪もなくなっていった。首はちいさくなり、頭もぐんぐん丸っこくなって、何よりも全身がすべすべとした光沢が宿り、青や、赤や、薄緑色に発光しては、何か今まで嗅いだことのないような、何か不思議に新鮮で、果物のように瑞々しい匂いが漂ってくるのだった。

――まばゆい光につつまれて――しばらくすると、そこにはいつか、前とは全く別の生き物が――背中をまるめて、両足を折り曲げ、うずくまったまま、空に浮かんでいるのだった。

それは巨大な、人間の胎児のようなのだった。シーツみたいに、胎児を包んだやわらかい光は、青からしだいに紅くなり、金色になって、眩しくなっていった。光の中で、うっすらと、やすらかそうな顔をして、眠りこけている赤ん坊の顔が見えた。その光の暈のあたりは、日向で風にそよそよと揺れている、真夏の植物のようにあざやかな緑色の光が散りばめられていた。そうしてしだいに、この緑色の光が拡がっていって、空間全体に瀰漫していった。

棟方はなんともいえない爽やかな気分になって、「あああ」と思った。軽やかな陶酔感が全身を流れている血液の流れにとってかわったようだった。するとどこか遠くから、甲高い声で、アセンション!」「アセンション!」という掛け声が聞こえた。

――そしたら僕は目が醒めた。

僕は最近人間の胎児のことを考えていた。全ての人間は胎児であり、もしも輪廻転生という現象が存在するのなら、人間は必ず受精卵と胎児の形態を通過する。最初に迷い込んだ洞窟はおそらく臍の緒であり、あの夢は羊水の中にいるものなのだと思われる。すべての胎児は、可能性に於いて、未来において、すべての人間なのであり、そのアルファでありオメガなのだろう。僕も昔は胎児だったし、これを読んでいるあなたも昔はそうだった。今はそうではない。しかしながらそうかと言って、昔そうだったことが否定されるというわけではない。かつての自分が、無機物や人間以前のよく分からない生き物だったことは間違いようのないことなのだから。しかしそれはあの夢を見たことの理由になるだろうか?

とはいえ最後のアセンションはよく分からない。たぶん響きが気に入ったのだろう。

(2007年頃執筆しはじめて2017年に完成)

 

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