note転載17 死にたくなるクリスマス

クリスマスだ。街は人でたくさん。
だけれど僕はもうたくさんだ。
結局なんにもなりはしない、どんな音楽が流れていても、
どんな本を読んでも、画集を紐解いてみても、
心が晴れることなどある筈もない。

新宿の街のスクランブル交差点から
ストリートヴューを見上げている。
音楽は僕とは無関係だ。
ねえ、携帯で動画ニュースを見ると色んな人が色んなことを喋っているね。
書店に並んでいる雑誌には色々なモデルがきらびやかな服を纏っているね。
映画館には二次元アニメのお兄さんお姉さんがいるよ。
三次元の俳優さんや女優さんもいるね。

コメディアンたち、サッカー選手に、野球選手に、ミュージシャン。

だけど僕には、関係ないんだ。

神様に、天才に、奇人変人、色んなカリスマに、教祖さま。

それもやっぱり、関係ないんだ。

美学やドグマは僕には無縁だ。
主義主張は僕とは無縁だ。
結局。
僕はそのお仲間に入る資格はないんだ。
みんなと同じように楽しむことができないんだから。

どんなにどんなにうらやんだところで、
その気がない、ということは、その資格がない、ということなのだから。

街灯の色は、たくさんの淡い七色のおはじきを空に浮かべたみたいに見えるね。
だけど今年のクリスマスはとても寒い色の風が吹いているね。

ねえ、僕は色んな友達や知り合いのことを考える。
みんな、音楽が好きだったり、美術が好きだったり、詩や小説が好きだったりするよ。
お金がすきだったり、異性が好きだったり、同性が好きだったりするよ。
後は犬にしか興味がなかったり、猫や鳥にしか興味がなかったりするんだ。

遊びが好きだったり、サイコロが好きだったりするよ。
喧嘩が好きだったり、哲学や物理学が好きだったりするよ。
花や動物や鉱物が好きな人も好きな人もいるよ。

でも、僕にはそんなこと何にもならないんだ。

新宿駅の南口のテラスから、月の光をさらさらと浴びながら、
たくさんの壊れたアクセサリーみたいな夜景を見つめる。

でもそれも僕にとっては無意味なんだ。
お金持ちの宝物も、貧乏人の宝物も、どうでもいいんだ。

あんまり寒いからコートの襟を立ててみるけど、効果がないからすぐに元に戻す。
マフラーをしてくればよかったなって思う。

アートがなんだっていうんだろう。
社会や政治がなんだっていうんだろう。
人間の美しさがなんだっていうんだろう。
自然の素晴らしさが、人工物の美しさがなんだっていうんだろう。

こんなに沈んでいる時に、
こんなに落ち込んでいて、こんなに気分の悪いときに、
マフラーがなくてこんなに体が冷たいときに、
なんの役にも立たないんだから。

僕の気分が最悪な時には、あたりのものは何もかも不毛。
僕の気分の最高な時には、あたりのものはみんな友達。

だとしたら、僕の受け取るものの半分は、僕自身の中にあるもので、
それを相手が、僕の目の前呼び出しているだけなのかもしれない。

どんなに美しいものも、半分は僕自身の中にある何かなんだ。
それをみんなは、さも分かりあっている風をして、評価して、体系を作って、
したり顔して悦に浸るのさ。
半分くらいはその中にはないのにね。

受け取るものの半分くらいは、僕の中にあるから、
僕の中にあるものが、ひとつのことしか考えてなければ、
出会ったものは、同じ科白しか喋らないんだ。

そんなことを思いながら、
イルミネーションにかざられた
クリスマスの人並みを歩いている。

そして同じことばかり思いつくんだ。

きっと、明日になっても同じことを考えていることだろう。

そう、たとえば木々や木の葉の幾何学的な美しさを見ると死にたくなる。
花の恍惚とした美しさを見ると死にたくなる。

墓場の近くを歩いていたら、
要するに地球上のあらゆる地面には死んだ人たちが埋まってるんだと思って
死にたくなる。

ニュース記事を読むと、
もう死んだ人たちの作り上げた社会システムや決まりの方が、
生きてる人間よりも強いんだと思って死にたくなる。

イルミネーションを見ていると切なくなって死にたくなる。
星が輝いていると自分も星になって死にたくなる。
夜の暗さを見あげていると、それはそのまま宇宙の暗さだと、
眠りの暗さだと、要するに死の暗さだと思って死にたくなる。

などと考えながら繁華街の路地裏を歩いていると、
足元に生ゴミが捨てられているのを見て汚くて死にたくなる。
自分よりも年上のお姉さんやお兄さんに、
遊んでかないと声をかけられると怖くなって死にたくなる。

風俗業界のことを考えると、人のことを利用し、犯罪組織に搾取されて、
お金か性欲のために人を利用し、
そしてそれが同時に大勢の人のことを救っている矛盾を思って死にたくなる。

社会の暴力や苦しさや虚しさを思うと死にたくなる。

美しく着飾って手を繋ぐ恋人たちを見ると自分とは関係ないから死にたくなる。
仕事のできる立派な男女を見ると自分よりも立派だから死にたくなる。

そう、スーツを着た人たちが連れ立って、大声を出して歩いているのを見つめている。
今まで働いてきた職場のことを考えていると死にたくなる。

自分よりも貧しかったり仕事ができなかったりする人をみると死にたくなる。
性格が悪かったり友達がいなかったり、
不幸だったり病気だったりする人を見ると死にたくなる。
自分がその人よりもどこかしら優れているのが申し訳なくなるから死にたくなる。

理不尽な理由で職場で叱られると不条理がイヤになって死にたくなる。
筋道の通った理由で職場で叱られると自分がイヤになって死にたくなる。

根拠もなく偉そうに話している人たちを見ると、そのおめでたさがイヤになって死にたくなる。
根拠もなく卑屈そうに話している人たちを見ると、そのみっともなさがイヤになって死にたくなる。

十分な根拠があって偉そうにしている人たちを見ると、自分が惨めになって死にたくなる。
十分な根拠があって卑屈そうにしている人たちを見ると、世の中の不条理さがイヤになって死にたくなる。

通り過ぎていくショーウインドウで、デコレートされたブランド品が展示されている、
解決されない社会の貧富の差を思って死にたくなる。

綺麗な工芸品を見ると何も考える必要のない単なるものになって死にたくなる。

夜間営業のペットショップでたくさんの珍しい動物が檻の中で泣き声を上げているのを見ると、
保健所で殺され続けている犬や猫の命について考えて死にたくなる。

それ以前に動物を見ていると人間に生まれてきた理由が分からなくなって死にたくなる。

可愛いものをみていると、可愛くない自分の生きている理由が分からなくなって死にたくなる。
自分が可愛く思えてくると、人から相手にされないのが悔しいやらさみしいやら悲しいやらで死にたくなる。

偶然昨日見てしまった匿名掲示板の心ない書き込みのことを思い出すと死にたくなる。
さっさと死ねといわれると死にたくなる。
もういいかいといわれると、まあだだよと言う代わりに死にたくなる。

さみしいからあの子のことを考えるとやっぱり死にたくなる。
あの子にはもう会えないかと思うと、
もう面倒だから死にたくなる。
あの子がいなくても別にいいかな、と思うと、
そういう自分が嫌になって死にたくなる。
あの子がいなくても別にいいや、と思っても、
大体後になってからつらくなるのが分かっているから死にたくなる。

ふと気が付くと、もともとは赤の他人に過ぎない誰かのことを
ついつい考えてしまう自分のことが気持ち悪くて恥ずかしくて死にたくなる。

さっさと逃げ出して暗い部屋の隅っこか押入れのなかか階段の下に隠れて膝を抱えていたくなる。
そういう自分が情けなくて死にたくなる。

自分があの子にはふさわしくはないんじゃないかと思うと死にたくなる。
逆にあの子はもしかしたら実はたいしたことないイヤなやつだったらと思うと死にたくなる。
そういう風になんでも疑ってかかる自分のことが、
もっともっとイヤになって死にたくなる。

それなのにあの子がいないと思うと、怖くなって死にたくなる。
でももしかしたらまた会えるのかもしれないと思うと、嬉しくなって死にたくなる。
だけどそのまま自分が嫌われたり嫌がられたりしたらどうしようかと思って、
そのままやっぱり怖くなって死にたくなる。

また大それたことを言ったり、調子はずれに振舞ったりしたらと思うと、
怖くなって死にたくなる。

でももしもあの子と仲直りして楽しく過ごすことができたらと思うと、
その時はきっと、もうこれ以上の幸せはないかもと思って死にたくなる。
いや、それはそれで大げさなんじゃないかと思って死にたくなる。

だけれどもしも、もしもすげなくあしらわれたら、
突き放されたら、
きっと世の中を儚んで死にたくなる。
すねても相手にされなかったら、悲しくなって、さみしくなって死にたくなる。

それで道を歩いて大通りに出くわすと、そこを行き交う自動車の群れに飛び込んでいって死にたくなる。
線路沿いの道を歩いていると線路の下に寝っころがって、電車に轢かれて死にたくなる。

長いひも状のものを見ると、首吊りの縄を作って死にたくなる。
高い駅ビルを見ると、その屋上から飛び降りて死にたくなる。
駅の構内で、寒い山の写真を見ると遭難して死にたくなる。
写真から連想してネット検索して熱い砂漠の写真を見ると日射病になって死にたくなる。

お湯を沸かそうとするとガスの栓をひねって死にたくなる。
料理をしようとすると火事を起こして死にたくなる。
野菜を切ろうとすると自分の体を代わりに切って死にたくなる。
髪を切りに行くと自分の頭を切って死にたくなる。
ネクタイを結ぼうとするとそのままそれを天上から提げて首を吊って死にたくなる。
自転車に乗るとも猛スピードで壁に激突して死にたくなる。
海水浴に行くとわざわざ沖合いにまで出かけて溺れて死にたくなる。

その沖合いに溺れている人がいると助けにいってその代わりに自分が犠牲になって死にたくなる。
自分だけ助かって相手が助からなかったら申し訳なくなって自分も死にたくなる。
助けることもできて自分も無事に助かったのならとりあえずクラゲに刺されて死にたくなる。

自殺する人がいたら自分が代わりになって死にたくなる。
自殺する人のことを止められなかったら自分の無力さがイヤになって死にたくなる。
自殺する人を止めることができたら、せっかくだから代わりに自分が死にたくなる。

不正が行われていると腹が立って死にたくなる。
正義が行われて世の中がうまく運んでいればそれはそれで退屈だから死にたくなる。

綺麗で楽しい死に方がないと悲しくなって死にたくなる。
人様に迷惑をかけない死に方が現実的にはなかなかないことが悲しくなって死にたくなる。
八方美人な自分のことがイヤになって死にたくなる。

コンビニにお菓子を買いに行って、お気に入りのビスケットが売り切れていると死にたくなる。
代わりに果汁グミを買って袋をレジにまでもっていっても、
銀行からお金を下ろさないと財布の中にお金がないことに気が付いて、
情けなくて死にたくなる。
宝くじに当たったら、もうこれで思い残すことはないと思って死にたくなる。
お金があっても使い道がなくて死にたくなる。

そうしてお腹が好くと死にたくなる。
ずっとお腹が好いている時にごちそうにありつくと、
ついついいっぱい食べ過ぎてしまって、
お腹がいっぱいになって気持ち悪くなって死にたくなる。

生きていることがもうそれだけでもう満足さ、などと考えていると、
その考えのおめでたさに思わず自分でも死にたくなる。
もうなんかもうどうでもいいからみんな死んでしまえと思うと、
そう考える自分が怖くなって死にたくなる。

気分転換にスーパーに買い物に行って、
なんとはなしに絹ごし豆腐と木綿豆腐のどっちを買おうか見比べていると
そのうちに豆腐の角に頭をぶつけて死ぬためには具体的にはどうすればいいのかを考えはじめて、
やっぱりそれはたぶん巨大な豆腐の中に頭を突っ込んで窒息死するか
巨大な豆腐の中に閉じ込められたまま冷凍されて凍死するかくらいしかできないんじゃないかと思うと、
豆腐の角に頭をぶつけて死ぬことができない人間の無力さを儚んで死にたくなる。
でも冷凍された巨大な豆腐の角に頭をぶつければできるじゃんと思って、
今度は死ぬための新しい希望がわいてきて、希望通りに死にたくなる。
だけれど巨大な冷凍高野豆腐なんてなかなか存在しない人生の現実に絶望して死にたくなる。

だけれどこの文章を読んでいる誰かが影響を受けて
うっかり死にたくなったりしたらと思うと怖くなって死にたくなる。

でもたまに楽しいことがあると後ろめたくなって死にたくなる。
楽しそうにしている人たちを見ると爆発しろと思う自分が悲しくなって死にたくなる。

こんなにいつも死にたくなる危険に晒されているのに、
いまだにのうのうと生きている自分は
まるで今のところは世界中から自分しか被害にあっていない、
死ぬ死ぬ詐欺の容疑者になってしまった気がして、
申し訳なくて死にたくなる。
でも別に自分しか騙してないし、自分しか被害にあってないから、
特に他の誰に対しても申し訳なく思う必要がないと気がついて、
若干勿体ないことをしてしまったと思って死にたくなる。

こんな自分だから結局意外と長生きするんじゃないかと思うとなんかもういいよと思って死にたくなる。

すべてのことに一度にケリをつけようと思うと死にたくなる。
実際のところはすべてのことが一度に片付くというわけではないってことを知っているから
なおさら死にたくなる。

なんてことを考えながら家に帰ると部屋が散らかっててだらしがないから死にたくなる。
エントロピーの法則のように自分の生命も、
いずれはこの部屋と同じように散らかっていくのだと思うと全てが虚しくなってまた死にたくなる。
でも部屋を片付けるとまるで死ぬ前に身辺整理をしているだけのように思えてきて死にたくなる。
片付けていると昔人にかいた手紙とか日記とかメモとかが出てきて死にたくなる。
中学生の時に書いた恥ずかしい文章が出てきて死にたくなる。
大学生の時に書いたものがやっぱり恥ずかしい文章のままなのでそのまま死にたくなる。

そういうわけで、苦し紛れに、思えば恥の多い人生を送ってきました、などとふざけていると、
昔の作家を気取っているだけのただのイタイ中高生としか思えなくなって死にたくなる。

だけどそろそろ死にたくなることを思いつくのが面倒になって、そのうちどうでも良くなって、
もはや自分が何を言っているのかわからなくなって死にたくなる。

そうしてそのまま、眠くなる。

この次目が醒めたら、また誰もいなくなるのかな、と思うとさみしくなる。

(2012年)

 

------------------------------------------------------------------------------

note転載の詳細についてはこちらでどうぞ⇩

予定を変更します。 - Keysa`s room

 

2002年から2018年までに書いた詩や小説などをnoteにまとめました。 - Keysa`s room