note転載12 宇宙的な相模原市

 
 青褪めた顔をして、みどり色をしている、風の分子たちは、喉と鼻腔に痛みを与えた。
彼の空間は、一度にすかすかになってしまった。

浸透圧が一気に低くなったような気分が、自分の体中を内側と外側から、被覆するように包み込んでいくのを感じた。
あるはずのない雲が、どこからともなく降りてきて、皮膚の廻りをつつみこんでくる。
たちどころに変動を起こして、しゅうしゅう、しゅうしゅうと音をたてていた。
見上げると、呵責なく自分の体を突撃させてくる、陽射しにやられて、真昼の月は、いつでもやさしい白い石のような真昼の月は、血の気の薄れた体を浮かして、空のどこかに嵌め込まれたまま、するりるりるらる、するりるりるらる、つかみどころのない歌を、くちづさんでいた。
――ああ、さっきまでただ道を歩いていただけだったのに、と彼は思った。――どこが一体誰なのか、誰が一体どこにいったり、誰に言ったり、何を言ったり、誰に行ったり、そのまま一体誰なのか、誰になるのか、もはやさっぱり見通しも立たなかった。
ただただ不思議な空間が、広がっていくのを感じた。
ビー玉みたいに淡い様子の、ペールブルーと、白の混じり気をした色彩が、薄く波打つ海になってひろがった。
すると彼は、その中に溺れて呼吸ができなくなってしまうのだった。
そうして不意に、年端もいかない子供の頃から、水の中に呑み込まれてしまうのがとても怖かったのを思い出した。
彼の背中には、不思議な魚が住んでいる。
時々こういう発作が起きると、とてもしっぽの長い魚が、びゅるれりれれりと、はしっこく泳いでいこうとする。
魚は、彼の背骨を、うなじのあたりを突き破ろうとする。
生まれでようと動き回っている。
それは彼の意識を、苦痛でがんじがらめにしていく。
あらゆる知覚が羽根を生やして、思い思いに、自分の内側から外側にまで飛びさっていこうとする。
――自分の皮膚と内臓とが裏返っていくみたいだ。
白い光に変わった骨は、地平線の向こう側に行ってしまう。
地球の果てに、たぶん自分自身の中心から一番遠いところにまで。
そうしてそれが自分の中心になってしまうせいで、遠心力のようにどこかに行ってしまった中心に引きずられながら、彼は地球を旅して歩いていく。
――発作がはじまると、自分は明け渡されていき、引き離される。
彼はいつのまにか宇宙の外側に浮遊している自分に気がついた。
そうして彼は、無数の並行世界に、多次元的に存在するいくつもの青い地球が、球体から流体にまで変化して、水飴のようになって、次元を越えてくるくると溶け合い、ひとつになっていくのを見守っていた。
それは青白い帯になり、それが並行世界同士を融通させることのできる、蛇のように歪んだ曲線を描いていく。
――彼は、昔物理学の授業で聞いた、ワームホールのことを思い出した。
その帯の中を、なにか糸のような白い気体が、血液みたいに、あるいは何かの神経伝達物質みたいに、通行していくのを見ていた。
――でもその気体は、液状化して、流れでていく白夜のような、この彼自身の骨だった。
――液体になってしまった地球の中をすうっとなぞらっていく、この彼自身の白夜の中に、彼は自分が閉じ込められていくのを感じた。
自分の体が、荒波に呑み込まれ、方々に散らばり、散々な形で蹂躙させられ、分解していき、また別の形に生まれ変わっていくのを感じた。
まるで大津波にさらわれてしまった、夥しい自動車の群れみたいに。
そうして気づくと、彼の周りは、今や21世紀初頭の神奈川県の相模原市の片隅ではなくなっていた。
全身を金色で刺青されている、謎めいた、超古代文明の、中枢都市に生まれ変わっている、相模原市の中に、彼はいた。
あたりはみんな、まるで誰かの指紋みたいに、奇妙な文様に隈なく彫金されていた。
――建物も、道路も、それぞれにみんな、なぞめいた楔形文字を刺繍されていた。
近寄ってみると、かすかな塩の匂いがまつわりのぼった。
何千もの黄金色の建物が、地平線の向こう側にまで広がっていそうな様子だった。
――そうして彼は、金属でできた、アンドロイドになって、他のアンドロイドになった人たちと一緒に歩いている自分の姿を見つけるのだった。
アンドロイドになった人々の体は、ところどころで、薄桃色や、水色がかった銀色をしていた。つつましい、淡い色をした油膜のようで、もはやほとんど人間の形をとどめてはいないようだった。
そうして彼も、オレンジ色と青色の混ざったような、アンドロイドになっているのだった。
――脈打ち続ける、その黄金色のビルディングの壁という壁からは、さらに何千万もの市街地が埋め込まれていた。それはつまり、黄金色になった相模原市から繋がっている、黄金色になった厚木市や海老名市や伊勢原市や、町田市だった。
それらの巨大な街々は黄金色の相模原市から連想させられ、生まれたばかりの、いわば金粉を塗り固められた都市の胎児たちだった。
――そうして彼らは、胞衣をかぶって眠りこけていた。
同じように塩味のする羊水の中で、うつむき加減に眼を閉じていた。
この生生しい幾何学的な嬰児たちの、膨張していき、拡張していく都市たちの、かたまりがかったけたたましいエネルギーを、ほとんど精神的に決壊している彼の身体に備わっている、想像というものの母胎の中で育まれていく、無数の生命や非生命の塊を、皮膚の裏側に、自分の内臓の、海のそこから、浮上してくる水泡たちや、都市や、宇宙船や、アンドロイドたちを――彼は自分の体に感じた。
そのたびに、自分の体がどこまでもどこまでも深い海の底にまで落ちていくような気がした。
――一体俺は、どこまで落ちていくのだろう――
けれども同時に、エメラルド色に染められている、カンラン石を砕いて顔料にしたもので塗りつぶされている、ロマネスク様式で建築された、神秘的な建物たちや、凱旋門らしき建物や、柱廊の合間を縫うように、まるで別の星系で繁栄している奇妙な科学文明の一員の姿になった、彼は歩いて、何か別の世界での生活を送っているのだった。
――銀色とマリンブルーの色に夕暮れていく、無表情な空の奥には、鉄色の宇宙船が次々に行き交い――宇宙船を誘導するためのレーザーサインが、蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。
街中はさまざまな惑星からやってきた亜人種たちで溢れていた。
奇妙なことだ。さっきまで近くにはダイエーがあり、ディスカウント店や、駅前の様々なショッピングストアがあったのに。
そこで彼は友達と会って話をしていたのに。駅前のメロンパン屋で新しいチョコチップクリームメロンパンが出たのを、居候させてもらっている友達に食べさせてやろうと考えていたのに。
――まるでそれらは遠い昔の時代のようだ。
様々にSF的な出来事や物事が、生まれ変わって、この街に来ていた。
これから先に、いくらでも書き継がれ、変形させられ、加工させられ、置き換えられていく、様々な可能性を帯びている、白い幼児の姿になって。
――何もかも、水飴を練るようにして輪廻転生を繰り返していく、無数の世界の中で。
――書かれ、話され、読まれ、聞かれることによって、存在することのできる世界、それは自分自身の内側と外側とを反転させるような構造を持った球体であり、物体であり、死体であり、だれかの身体であり、気体で、流体で、それと同時に固体でもある世界だった。
――けれども、普段から彼が目にしている世界も、それは同じだった。
まるでメビウスの輪のように、現実は想像に、内側は外側に、生まれることは死ぬことに繋がっていた。
そうして彼は落ちていく。
――あるいは彼以外のすべての現実が、ものすごい速さで、天を目指して上っているのだろうか。
逆転しているエレベーターみたいに。
――それもおそらく、正反対が、どこかでつながる、メビウスの輪だった。

(2004年頃執筆はじめて2012年完成、その後微修正)

 

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