note転載44(End) 折り返されて

「魂はみずから生気あらしめている肉体の中よりも、むしろ自分が愛しているものの中に住む、なぜなら魂は肉体の中に生命を有しているのではなく、むしろ肉体に生命を与え、自らが愛しているものの中に生きるからである。」(十字架の聖ヨハネ

秋だ。遠く広がる眺望。
あなたは屋上の欄干に手をかけて、東京の市街地を見ていました。
混じりけのない空虚のように、蒼穹は地上を見下ろしていました。
空の高さを引き立てるように、雲は東へと流れていきます。
それはこの星で日常的に見かけられる光景の一部です。
天という言葉にふさわしい高さについて、
あなたは見上げています。

時間と空間のありようについて、
あなたは考えます。
この宇宙が、生まれた時から、ずっとこのままでいるもののことを。
大気は、植物が地表を覆ってから、
何億年という時間をかけて、その組成を変えていったのでした。

それに比べれば、国家の興亡も、大都市の消長も、
夢のように短く消えます。

それ以上に、あなたのこれまでの過去も、残された未来も、
かぎりなく短いのです。

 

にも拘らず、だれも、自分の人生を離れて、遠くには行けません。
誰も、別の人生を生きることがありません。
小説や映画や舞台の中に、短い言葉や音楽の中に、
あるいはあなたが目にとめた人のふとした表情に、
あなた自身とは全く別の人生を、夢のように垣間見たのだとしても、

それはあくまで、あなたの人生から垣間見られたものでしかありません。

 

あんなにもあなたの心を動かした一行も、
あなたの人生のなかの一行として、
あなたの人生のなかにとじられています。
あなたの体、あなたの形、あなたを組成する、
30兆以上の細胞でできた、この本の中に。

古代の詩人や、歴史上の英雄や、映画俳優にあこがれても、
想像や伝説の登場人物にあこがれても、
それはやっぱり、あなたの人生の中での出来事でした。
あこがれるあなたも、あこがれられたその人も。

 

大勢の人がそうであるように、かつてあなたは、
自分と家族との関係や、
恋人との関係や、
様々な友人知人との関係に、
それから社会との関係に苦しんでいたのでした。


あなたはその人生を、変えようとしました。

あなたは生まれた時に名付けられた名前とは、
別の名前を名乗りました。

生まれた国とは別の国で暮らしてみました。
いくつも仕事を変えて、住まいを変えました。
別の自分になろうとして努力したのでした。

 

こどもの頃から、あなたには不思議で仕方がありませんでした。
自分に名前のあることが、
自分に顔のあることが、
自分に意識のあることが。
自分がまさにこの自分であることが。

あなたは前世や来世や異次元の世界にあこがれました。
空想や幻想に、夢や狂気にあこがれました。
人類の歴史や未来世界や宇宙の果てにあこがれました。
天体の摂理や、微生物や細胞の世界にあこがれました。
世界中の神話や、物語に、神秘や奇跡にあこがれました。
言葉の響きや音楽の響きに、旋律や和音にあこがれました。
あなたは悲劇や美にあこがれました。
そうしてあなたは、無にあこがれました。

それらはみんな、あなたの人生の限界にあるもの、
いわばその生の限界に開いた窓でした。

 

あなたはかつて、人生という言葉を聞くたびに
自分自身を主人公に見立てた、
生まれてきてから死ぬまでの、
スクロールしていく物語のようなものを想像したものでした。

でもある時理解したのでした。

人生というのはあなたを外側から見ることで、
浮かび上がってくるだけのものではなく、
あなたが内側から見続けてきた、聴き続けてきた、触れ続けてきた、
感じ続けてきたもののすべてをも、含んでいるのだと。

そしてあなたに感じられてきたものは、それらの光景は、
まさにあなた自身から感じられてきた光景、
あなた自身のその時いる場所から見られた光景でした。
つまりそれがあなたの人生でした。

 

一つの生命がそこにあるということは、
一つの物理的な時間と空間の中に、
その生命が確かな位置を占めているということです。
そして確かな場所を占めているということは、
それ自身としての感覚を生き、体を生き、
意識を生き、ひとつの世界観を生きている、
自分自身の過去や記憶を、未来についての期待と不安を、
その生自体を流れる時間を、生きているということです。

 

他の人と同じ生を体験したとしても、
すべての生は、明らかにおのおのの生とは違う生を、
独自の位置と角度から、温度から、湿度から、知性から、感覚から、
身体から、意識から、意志から、それ自身が体験してきた、
時空間の一貫性や出来事の連続性の中から、生きているから、
そうだとするなら、すべての生命は、文字通りかけがえの効かない、
それ自身でも忘れてしまうような、
独自で、そして秘密の生を生きていると、あなたは感じたのでした。

 

その人の体験してきたことのすべてが、その人の人生をつくるなら、
その人のいる場所から見えているすべても、その人の人生で、
他の人はその人の体験すべてを、肩代わりできません。
たとえばあなたから見えるだれかの姿は、その相手からは見えません。

同じように、だれかから見えるあなたの姿は、その人が死んだら、
永遠に同じものは失われます。

あなたにとっては、その人に映るあなたの姿は永遠に謎めいているでしょう。

その人にとっては、あなたから映るその人の姿は永遠に謎めいています。
あなたとそのだれかは、別の人生を生きています。

そしてお互いに自分の人生を離れることはできないまま、この世界に生きています。

だから、それぞれの人生は、それぞれにとっては、
この世界と、この宇宙全体と同じくらいに広いのです。

 

今年はじめにあなたの友人が亡くなった時にも、

あなたはそういうことを考えました。

あなたの友人は自分の人生から離れていったのでした。

この世界から離れていくことで。
でも、彼の苦しみをあなたはそこまでは知りませんでした。

あなたは彼との関わりや、
彼の声や、彼の表情を思い出したのでした。

そして、以前別の友人がなくなった時に、
同じことがあったのを思い出したのでした。

 

自分が亡くなったわけではないのに、
自分の中で何かが亡くなった、ということについてあなたは考えました。

なぜそう感じたのか、なぜ思い出すことについて

強い感情的な反応を覚えるのか。

でも思い出そうとしたのか。

あなたが気づいたことは、
彼が亡くなった時に、彼の中のあなたは失われてしまい、
またあなたの記憶の中で生きている彼は、
あなたが彼だと普段思いなしていた彼は、
もう自分の本来棲むべき居場所を、なくしてしまったということでした。
記憶の中の登場人物に帰っていくべき場所がないということでした。
どうして人の社会に墓があるのか、理解できた気がしました。


あなたは亡くなった人のことを想って泣きます。

ただ歩いているときに、仕事をしている時に、
寝るために横になった時に。

それはたとえば彼が生きていた時、何気ない会話の中で、
笑顔を浮かべて話していた時のことを思い出したからでした、
思い出したというより、不意にそれがあなたにせまってきたからでした。

ただよく思い返してみると、それは彼の見ていない彼の表情です。

 

ということはつまり、これはあなたの記憶です。

 

あなたはだれかとかかわることで、その誰かとかかわった記憶を、
あなたの中に住まわせています。
あなたの中で、彼の物質的な部分に収まらないものは、
ただの物質でしかない、彼の遺体には入っていけません。

彼との記憶は、あなたから見えた、
生きている時の彼の様子や性格の記憶も含んでいます。

そして、あなたの記憶の向こう側では、
あなたにはわからないその向こうでは、
彼の内面が、あなたとは別に、生きているのだと、
あなたはいつも無自覚に信じていたのでした。

そして今でも信じています。

 

彼の内面に生きている彼自身は、
あなたの内面に生きていた彼とは、同じではない。

彼はあなたとは全く違った感じ方で、この世界を感じていたのでした。

だからこそ彼が亡くなったと聞いた時、

理不尽なことが起きたと感じたのです。

彼にとっては、無論そうではなかったでしょう。

 

同じこの世界に、

この時間と空間の中に生きているのだとしても、
彼は彼の人生の中に閉じ込められ、
あなたはあなたの人生の中に閉じ込められています。

 

だけれど、それでも、
あなたが彼のことを悼むことができるのは、
あなたのなかに彼の記憶を作り出すことができたからです。

 

たとえ魂という概念や、あの世という概念が、
科学的には実在しないのだとしても、
人間的にはそれが存在した方が合理的なこともあるのでしょう。

人というのは何か根本的なところで、

そういう風にしてしか応えようのない謎を持っています。

人は普段自分の肉体の事を自分の命だと思っています。

けれども、あなたは思います。

実はその人をその人で有らしめているのは、
その人の人生の方なのではないかと。

肉体はむしろその人生を通過していくことで、
体験する基軸になることで、
その人自身としての人生を刻み付けていくような、

そういう場所に過ぎないのかもしれないと。

 

人生というのは、その人が時間的空間的に体験し、
感じ取り、なおかつそれに解釈や判断を加え、
行動していく場所、

そしてその場所の歴史と記憶と体験の総体そのものなのだと。


そういう意味では、

人生というのは、いわばその人の第二の身体を作っていると、
言ってもいいのかもしれません。

あなたから見えるこの世界は、
あなたによって体験付けられ、記憶付けられ、
意味付けられ、価値づけられ、名付けられ、
動機付けられ、目的付けられ、つまりは位置づけられ、
そうすることで、あなたの記憶と内面世界を投影させられる場所になる。
これまであなたはずっとそうしてきたし、
これからもそうするのでしょう。
そうしてそれが、あなたの内側から体験された人生です。

 

もっともその内側も、あなたが生まれてきてから体験し、判断してきたものの、

反映の総体からできている、とも言えるのです。

 

蒼空というのは、子供のころから今にいたるまで、同じ高さで同じ色に見えます。

空が青いのは青く感じられるほど単純に遠いからだと、

古代の中国では信じられていました。

今では空気中の分子が光に反射し散乱するせいだといわれています。

そしてあなたはこどもではなく、

後百年もすれば、あなたはもうここにはいないでしょう。


秋はいつも似たような涼しさでやってきます。
でもあなたも、あなたの周りにいた人たちも、変わっていきます。

あなたは今に至るまで、

この世界に生きている違和感を拭い去ることはできませんでした。
あなたはいろいろな点で別の人間のようになったけれど、
自分をうまくコントロールできないという点はあまり進歩がありませんでした。
そしてこの言葉が書かれた後も、

社会は変わっていくし、あなたは変わっていくのでしょう。

 

昔のことを思い返してみても、
すべては過ぎ去ってしまい、よくできたフィクションのようにも思えます。
過去になってしまえば、愛でることもができます。
フィクションの登場人物にみたいに、あなたはあなた自身を認められます。

そのためには、あなたをあなた自身から突き放すことが、

何度か必要だったとしても。

 

亡くなった人たちや、
たぶんもう二度と会えない人たちがいます。

あなたの苦しさは本当だったし、
あなたの感じた美も、あこがれも、喜びも、
慰めも本当だったのでしょう。
それは苦しさによって裏打ちされて、
もうあなたのものです。

あなたに憑りついてあなたからはなれなかった光景は、

その音楽は、
その人たちは、
あなたが出会わなければ、当然ありえませんでした。
あなたが直接感じたようには。

 

誰もが、それぞれの人生に閉じ込められて、

あるいはそれぞれの人生に家のように住んでいます。

というかその家がその人です。

その家は目には見えないのです。

でもあなたはそれをみとめたいと思いました。

 

つまりあなたが見聞きし、感じ取り、考えることのできるもの以外の場所で、

それが決して、許されないような場所で。

観念ではなく、実際に誰かが生きていることを。

 

あなたは永遠にあなた自身のものであり、
あなたのあたえた人たちのものです。

あなたはあなたが生きている以上永遠に、
あなたの人生にとざされているから、
他の人の人生にあなたをあたえることができます。

あなたがあなたの人生の中から出られないからこそ、
あなたは別の人生の秘密を守ることもできます。
あなたは別の生のかけがえのなさを、
別の生の尊厳を、守ることができる。

あなたが人生を愛することは、

あなたがただあなた自身を愛するのとは違います。

 

そしてあなたというのは、

あなた自身であり、同時になにかもう別のものです。

 

あなたと出会って別れた人たちは、
あなたの人生と記憶のかけがえのなさにおいて、
あなたの一部です。

 

――そうしてそれは、
あなたの存在や、言葉や、しらべの一部になっています。

 

(2018年)

 

------------------------------------------------------------------------------

noteの転載はこれで終わりです。

この最後のものだけ、内容を修正し推敲してあります。

今まで読んでくださった方々、どうもありがとう。

 

note転載の詳細についてはこちらでどうぞ⇩

予定を変更します。 - Keysa`s room

 

2002年から2018年までに書いた詩や小説などをnoteにまとめました。 - Keysa`s room