note転載9 風子の記憶

――履いている靴のつま先のあたりで、微かな土埃たちと一緒に、湿気の抜かれたそよ風が、そよそよとふきつけてきます。そこいらにまばらに生えている、淡い色をしたイネ科の植物たちは、鋭い葉先を繊ケと鳴らしています。

植物たちは、そうすることで、風の精霊たちに返事をしたためているようでした。

――雑草たちの表面には、幾何学的な光彩がうっすらと滲んでいました。それはつややかに燃えているようで、同時に誰かを呼んでいるようでした。その無機物的なきらめきは、あたりをさまよう、風子(かぜこ)の記憶の亡霊たちに、メランコリックな安らぎを与えていました。――それというのも、亡霊たちに触覚はないけれども、他の知覚は保たれていて、そのせいで、視覚だとか、聴覚だとか、嗅覚だとかは、前にも増して鮮明さを帯びているのでした。

――空を振り仰ぐと、柔らかい、まるでミルフィーユの一切れ一切れみたいに、薄手にできた、雲の近くを、何か泡のようなものが、忙しげに流れていきます。――それはどうやら人魂の群れのようで――ひややかに煮えたぎったままで、ほのかな光芒を放ちながら、とても細長い尾を引いていました。――それは空を、それと同時に風子の内面的な時空感覚を、しらじらと縫製していくようなのでした。

――みんな西の方向を目指してるんだ、と風子は気付きました。そこには陽の沈む国があるから、いなくなった人たちは、その場所で暮らしていくのだと。――彼方に向かって流されていく、人魂たちの群れを見ていると、昔子供の頃に絵本で読んだ、リュウグウノツカイみたいだと風子は思いだしました。

――あの吹流しのように細長い魚の正体が、昔の人から、海の底に棲んでいる人たちの使いなのだと、信じられていたみたいに――空を行き交っていく、魂たちも、この空の奥底に住んでいる、西の果ての国に住んでいる人たちの、使いなのかもしれないと。

――けれども風子は、そう感じるのと引き換えに強いさみしさを覚えていました。他界してしまったお父さんやお母さんのことを思いました。――死んでしまった、龍平さんに会いたいと思いました。

――みんないなくなってしまった。それなのにあたしは、まだ生き延びている。――このまま歳を取っていくのかな、このまま、何のために自分が生きているのかも、何のためにこの世界があるのかも分からないまま、ずっと、一人で。――頼りになるものもなしに。

なんとなくうなづいて目を閉じたら、龍平さんの声が聞こえてくるような気がしました。龍平さんはいつでも彼女の中でずっと彼女に向けて話し続けていたのに、彼女の方では気がつかなかっただけなのかもしれません。

――実際のところ、目には見えずに、耳には聞こえず、肌に触れることができないのだとしても、死んでしまった人たちはみんな、植物たちや、風のそよぎや空の青さの中に溶けてしまって、そのままずっとこの時の中で生きているとしたらどうでしょう。都合の良い戯言といえるでしょうか。

人々はみんな、彼女の皮膚感覚だとか、自分の体の質感だとか、重力だとかの内側で、彼女の中で、静かに静かに息づいているのではなかったでしょうか。そうしてそれは今までもずっとそうだったのではなかったでしょうか。

・・・かみさま、と、風子はちいさくつぶやきました。

なんの宗教も信じてはいなかったけれど、何となくそう言った方が良いような気がしたからです。

自分の額の斜め上辺りの空の中を、向こう側からこっちに向かって、自分でも想像もできないようなひとつの見えない棒のようなものが、ハイウェイみたいに貫いていきます。目には見えない、時の自動車と時の信号と時の運転手たちがそこで交通している、ふしぎなハイウェイ。

たぶんこの地球が生まれる前の、途方もないくらいに昔から呼吸していた、大きなひとつの意志のような力によって、設計された、無限のハイウェイ。ひとつの微妙な感覚だけが、その構築されて輪郭のあわいを、知覚することのできる、崇高なハイウェイ。

――それは自分一人の肉体よりもずっと大きくて、どこまでもどこまでも続いていくひとつの力の流れのようだと風子は思いました。

――わたしは人類で、わたしは生き物で、そうしてわたしは物そのもので、そうして無数の素粒子なんだ。――ひとつの素粒子がそうであるように、わたし自身も、わたしの時空間も、そうしてわたしをながれる様々な風景だとか、感情だとか、誰かのささいなしぐさだとかも、どこかからどこかに向かって流通していく、なにかの無作為で純粋な通信作業のための、些細で小さな媒体で、いわば半分物理的で半分精神的な、かみさまの大きな機械をつくる、小さな半導体のようなものなのかもしれない、と風子はおもいました。

ひょっとしたら、かみさまというのは、人間だとか、世界だとかいうひとつの通信システムの中に偏在する、もっとも純粋な伝達性そのもののことなのではないでしょうか。

もっとも正しくて、運命的で、素直で、微少で、善だとか悪だとかを超越してしまうような、ひとつの流れが、もっとも自然に発現したもの、そうしてそれが、人に向かって呼びかけている時、かみさまがそこにやってきているのだと、人は感じてしまうのではなかったでしょうか。

自分の中に、風景があって、そうして人々の幽霊がいるのか、風景の中に、そうして無数の人々の中に、小さな自分が、ぬけがらみたいに包まれているのか、風子にはほとんど見当がつきませんでした。

(2003年頃に執筆しはじめて2012年に完成)

 

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