note転載1 食器棚は、やわらかくなった光をそこらじゅうで溢れださせる。

 皿から皿へ、次から次に、ナイフが、フォークが、フルーツナイフやフィッシュナイフが、サラダフォークやミートフォークが、映って、移って、何度でもきらめていく、いろいろな人の顔つき、でも、誰の顔かは思い出せない、瞳から瞳へ、フォークが映り、ナイフが映り、そこに映った景色がうつり、夜空がうつり、三日月が、白く息づいている星たちがうつった。すばやく交替していく銀色の食器たち。そこに曇りガラスのようにうつるおぼろげな顔立ち、まるで夢の闇に浮かぶ金属たちは、誰かの瞳のようだった、その瞳から瞳に、とぎれとぎれの雲がうつるように、何かがうつった、きみは闇に浮かぶ銀色の光に浮かぶ闇を見ていた、それは宛先も知らない不安な宇宙をさまよっているようだった。

 きみのからだは遠い荒れ果てた宇宙の抜け殻でできていた、自分のからだが黒い銀色になって、そこ宿っている宇宙を、ずっとさまよっているような気がした。

 きみをだれかと繋ぐもの、それは、人の魂の根源にあるものが、最終的には、それとも、始まりの場所では、すべてが一つでできている、というような、そんな予感めいた感覚だった、だとしたら、人格も、個性も、その感覚の痕跡にすぎない、それが無限そのものにつながっているから、という理由で、その痕跡は愛される。そうすることで、人は自分自身を愛することができるから。

 人に無限性を感じさせてくれるもの、それは好きな場所にならどこにでもうつることができる、きみがそれを感じることができたもの、それは、ある時は流れていく雲の複雑な形だった、様々な裸子植物や地衣類でおおわれている、古代からの森だった、繰り返し繰り返し押し寄せては引いていく、潮の流れの残響だった、それはこどもの頃のきみが尊敬する一人の人間だった、それは音楽だった。

 そして、その音楽は、ある日一人の少女の横顔に宿り、それはとても信じられない美しさだときみは感じた、そしてきみはその余波を買い、その影響を被るように、その音楽だけではなく彼女のことも愛した、というよりも、きみの内面で、それは彼女とすっかり融けあっていた。

 その様子はまるで不可能な矛盾だった、きみは感じた、この二つはお互いの魂のための一本の櫛になり、お互いの魂のお互いのうつくしい髪の毛をお互いに梳かしあうのをもうはじめているようだと。でもそれはきみの内面だった、その場所はきみの内面だった。

 きみは彼女に出会う前に、もう自分の内面によって疎外されていた。あらゆる時間はそれの住まいだった。どこでも変わらずに、それは悲しい顔をしていた。ある時それはひとすじの水滴を纏わせた、何か蒼い花に変身して揺れていた。そしてきみはその花を取り囲んで反映しているガラスのように透明だった、その花を風から守るガラスのように透明だった、そしてその花を孤立させてしまうガラスのように透明だった。そんな風にきみは自分自身を幾重にも取り囲んでいる夢の垣根から追放された。きみ自身も夢の垣根だった。

 彼女は差し込んでくる光に融けあうことで、あたらしく生きていくための熱を生み出しているように見えた。

 きみは透明になりたかった、透明でいるのは苦しかった、きみは無ではなく、ガラスだったから、それは冷ややかで虚ろな反映をつくった、そしてそれが冷ややかであるのは、きみが物質であるからだった。そしてきみの背骨は、取り戻すことのできない悔恨に震えて、しびれたように、よく軋んた。

 それははじめて彼女に出会ったときだった。感受性は何か際限のない無になってきみを被覆した。削ぎ落とされて、自分がどこにもいなくなってしまう時、その時星は、星たちは時々ずいぶんまぶしく、異常なまでに輝いていた。そこで繰り広げられている光景は、何か得体のしれないおそれを歌っていた、そのとききみは、何かよりそうことのできるものをさがしている、こどものようだった。

 今きみはとても深い闇の底にいる、凍り付くように熱を帯びて、すべてが真っ黒な粘状体になって、闇そのものの一部になったみたいに。きみは彼女と二人して横になり、お互いの首の方に首を向けながら、片手と片手を重ねあった、彼女とはぶつかり合うことも、本当に触れ合うことも、本当にすれちがうことさえできない別の世界に棲んでいるのだと、きみは信じていた。だけれど同時にーーまるでそれを喪くしてしまったような気になることしかできないような、とらえどころのないような確かさをおびている、ふたつの世界の中心で、孤立しながら、きみははじめて他人になれた気がした。きみは今までとは全く別の人間になれた気がした。そしてきみはそれすら越えることができるとさえ感じた。きみ自身を、それから彼女自身を越えた世界で、わたしたち自身のいない世界で。

 さっきまでつめたかったのに、静かにからみあわされる指先たちは、つめたさのむこうにあるものの糸口をもうみつけていた、きみに向けて彼女は微笑んだ、空気はどこか悲しすぎるおももちでいる幸せを震わせながら、きみの全身を真っ白に通交していくのが分かった。
 
 そして窓から、月の、星たちの、というよりも、むこうからくるあの場所からの、場所と言って良いのかよくわからないけれど、あの場所からの、まるで光でないような強い光が、強くてそれなのにまだどこかやさしい光が、強くてそれでも儚い光が、それでもいつまでも消えることのない、あまりにも短すぎるせいであまりにも限りのないものを暗示してしまうような、ひとつの光が、自分と彼女を照らしているのを、きみは見ていた。

 かがやきが呼吸し、いくらかの湿り気を帯びているのが分かる。水晶みたいに、花粉みたいに。抽象化されている笑いみたいに、まるでカゲロウの羽根の結晶的な美しさだけを水に融かして流したみたいに。魂に垣間見られた星たちと夜空は、きみの背中を見返していた。

 かぎりなく冷たいのに、人の感知できる温度を越えてまでつめたいのに、それにもかかわらず、まだ生きている、石英でできたやさしさのようなもの、そういう光が、全身を包んでくれていて、しずかにそれらは判明になっていく。天からではなく、それはきみの内側に潜んでいるもうひとつの天上から顕れて、きみを取り囲んで包んでくれているカーテンだった。その下でなら、感じないわけにはいかなかった。繰り抜かれている透明にしかすぎない、とこしえにちっぽけな無でしかない自分のことを。聖なる温度の変化の下で、聖なる気圧配置に気圧されて、きみはこれ以上ないくらいまでに透明になった自分のからだの細胞たちがしずかになって、音も立てずに、伸び縮みしているのを、直接感じることができるようだった。

 彼女と別れた時にはいつでも、きみは一人残った自分を感じた。すべては反射の作用でしかないのだときみは思った、それでも反射たちはみんな、言い様のないかけがえのなさを身におびていると、きみは感じた。きみは些細な言葉にすぐおびえた。きみは疑うことに羞恥を感じた。きみはさみしかった。きみは自分が裏切られることを知っている空想を空想した。そして幸福な裏切りを信じている空想を空想した。きみは色々なことにいつも気を取られて、自分を忘れた。そして気が付くと、もはやすっかり親しさをなくして、乾燥しきった地面の上で、取り繕うことなんてできっこないような裂け目がどこかに、開いている気がした。

 彼女はもう眠っていた。眠れずにきみはそれを見ていた。ほとんど何も考えず、考えることができずに、考えることさえできないで、星たちの仲間に入れられて、すっかり夜空に融け込みながら。

 風景のすべては、きみの場所から、ただきみのいる場所から、見つけられた風景に過ぎなかった、でもそれでもかまわないときみは思った、身を切るような、押し潰されるような、大声で泣いているような、あらん限りの大声で怒りをむき出しにして笑っているような、信じられないくらいにやせ細っていきながら同時に透明になっていく静けさのような、それでもどこかから涼しい風が、きよらかな水を胸に秘めているようなかがやきの記憶を、あの死の影が招きよせる、未来永劫につづく薄暗い回廊からぬけだした時の、あの記憶を、かすかにとどめた涼しい風が、吹いてくるような、このやすらぎは、今まで見たことも聴いたことも触れたことも、思い出すことも、これから先に、思い出すことさえもないかのような、奇妙な瑞々しさを自分自身に融け込ませて、きみのすぐそばで寝息を立てているのだった。

 しずかにひとつの気配が拡がる、きみのなかで、無言の気遣いのようなものが、無言のいたわりのようなものが。絶望と絶望を確かに越えているものと、無と無をたしかに越えているものーーたしかにきみは、それを感じた。たしかにきみは、彼女のことを、愛していた。

(2008年頃から執筆し2018年に完成)

note転載の詳細はこちら⇩

 

予定を変更します。 - Keysa`s room

 

2002年から2018年までに書いた詩や小説などをnoteにまとめました。 - Keysa`s room

 

 

 

予定を変更します。

というわけで予定を変更することにしました。

え?何がって?

まあまあちょっと聞いてくださいよ、そこのあなた。

 

10月に今まで書いた詩や小説その他をnoteにまとめる、ということをしました。

 

詳しくはこちら↓

pagansynonym.hatenablog.com

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それで、ここからが本題ですが、その際、その内容はこのブログでも全部(130個くらい)予約投稿して順々に掲載していきますよ、と予告しました。

 

が、

 

ごめんなさい!やっぱり全部予約投稿するのやめます。

 

なぜか。

 

もう一度130個分投稿する手間が大変だねっていうのもありますが、そもそも

 

16年前とかに書いた文章を今改めてそこまで他人様に読ませたいか??

 

という問題ですね。いや読みたいよ、という奇特な方(ありがとうございます。そんなあなたの奇特さに幸あれ)はnoteで読んでくださればいいかなとも思うので。

 

普通に転載しようとしたんだけど、作業しようとしてnoteの記事を読み返したらなんだかなという気持ちになった次第です。

 

だがしかし!

 

何もブログに転載しないところまで引き下がる(?)つもりではないです。

 

過去に書いたもので、特に優れていると感じたものは載せますね。

noteだと数の多さに埋もれてしまい、一度も陽の目(?)を見ることなく消えるのもなんだか不憫なので。

なのでこのブログで載せていく記事はいわばベストオブベストですね。

 

(優れてはいても、今の自分に合わない気がするものは省きました)

 

明日から(もう今日だけど)1日に1回。

毎日19時に1記事ずつアップしていきます。

 

転載は44記事あるので全部で44日。1月半ですね。

 

12/24,12/25と12/30~1/3は休みます。

毎日作業するわけじゃなく予約投稿だけど一応世間に合わせる。

 

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※追記 予約投稿してみて分かったけど、12/24と12/25に投稿しなくても12/30で全部終わるとわかりました。年内で終わらせた方がキリが良い気がするので、12/30に最後に投稿して終わりにしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

今回詩や小説などの作品をまとめたことについて

 

今回詩や小説などの作品をまとめたことについて

 

1

 

今回詩や小説などの作品をまとめたことについて、

序文も書いたんですがもう少し補足して詳しく書きますね。

 

個人的には、詩や小説の発表の在り方として、130個全部一度に公開するというのは、個々の作品にとってはあまり良くないなという思いもあります。

数が多すぎるから読まれづらいでしょう。

それでも今の自分にはそうすることが必要だったと思っています。

 

今までこういうことをしたことはありませんでした。

 

以前にも書きましたが、自分のことを自分で納得できるようなやり方で説明したいと思う事がここ数年間ずっとありました。

 

特に誰かに対してというよりも、他人全般に対して、あるいは社会に対して、ずっとそうしたいと思ってきました。

 

そしてたぶんそれを一番うまくできるのは、ただ今までの人生で起きた事を伝えるのではなく、今までの人生で作ったものを通して伝えることだと感じていました。

というのもわたしは、日常生活の中で、自分の感じていることを表現するのが下手だからです。

 

これから音楽活動も再開しますが、それをするためにも、自分がどういう人間か、どういうものを感じて生きているか、どういう立場で生きているか、それをもう少しはっきりさせたかった。

 

普段のわたしを知ってる人ならわかると思いますが、わたしはかなり八方美人です。

 

しかし今回公開した作品は、残念ながら合わない人には全く合わないでしょうし、特にここ2年くらいのものは理解もできないことでしょう。

 

わたしは、色々な場所や催しに参加した時、自分のことを説明するのがうまくできないせいで、よく分からない変な人だと思われたり(少なくとも自分はそう感じたり)、よく分からない変な人だと思われているんじゃないかと感じることが、とてもストレスだったんだなと今は改めて思います。

 

でも、自分の中のこういった部分(この作品集に載せられているような部分、合わない人には合わない、というより、全く理解されないであろう部分)を他人全般に対して向けて公開することには、抵抗が強かったなと思います。

 

ではなぜ抵抗が強かったのか。

 

2

 

一言でいえば、自分ひいては自分の作品が異常だという意識があったからですね。

自分は変で劣っているという意識もあったからでしょう。

自分でそう思い込んでいるだけではないか?

たしかに、そういう風に言うことはできます。

というか、自分でもそうなんじゃないかという意識があり、だからこそそう言われかねないことが辛かったですね。

 

でも今となっては異常という意識には前よりも根拠があります。

 

去年9月に仕事を変える前の事でした。以前から自分はそうなのでは、という疑いがあったのですが、当時働いていた仕事が全然できなかったこともあり、心療内科でWAIS3という一種の知能テストを受けたところ、ADHD注意欠陥・多動性障害 - Wikipedia)と軽度のASD 自閉症スペクトラム障害 - Wikipedia)と判断され、仕事を続けるためにADHD向けの薬を常用するようになりました。

 

自分の人生で色々なことがうまくいかなかった要因として、ADHD的な部分やASD的な部分はかなりあるのではと考えるようになりました。

 

思い返してみると、自分の物事への過敏さや、過剰に集中してしまう性質や、物忘れやケアレスミスの多さ、衝動的な性質、テンション高くなった時の落ち着きのなさ、一度に思ったことを全部言ってしまう(書いてしまう)ような性質、などは全部ADHDで説明できるじゃん、と思わずにはいられません。

 

また、飲み会のような場やチームプレイが苦手だったり、過度な攻撃性(ただしそれはほとんど自分に向けられるが)、阿吽の呼吸ができなかったり、物の考え方が断片的になりがちだったり、抽象的で論理的なことにやたら興味を持ったり、個々の人間にはかなり感情移入できるけど、集団的な盛り上がりには感情移入を持つのが苦手な所、相手の感情や行為や空気を理解できても、それに対してどう反応すればいいかわからなくなることの多いこと、などはASDで説明できるかもしれません。

 

そういう人が、ごく一般的な社会人に対して強い劣等感を持つのは当たり前だし、他人とのコミュニケーションに自信を無くすのも納得できるなと。

 

すでにできあがっている社会的な場所の中で、他の人と同じようにするという当たり前のことができない、というのがかなり長い間における私の悩みだったと思います。

 

そして、自分の理想や想像の性質もありますね。とても非日常的なものや非現実的なものを志向する性質のことです。

 

自分の作ったものが、以上に書いた性質に影響されている事は間違いありません。

人に怖がられたり、警戒されたりするのが嫌だったんですね。

 

だから、例えば職場だとか、初対面の場所とか、色々な場所で、自分のそういう部分は隠していました。(実際、わたしと話したことのある人で、この文章を読んで驚く人はきっと色々いると思います。わたしは実際人当たりはそんなに悪くないので)

 

3

 

でも、そういうのはもう限界なのかもしれませんね。

隠してもにじみ出るしね。

結局、どこに行っても物事ってつながってる気が今はしています。

 

それにさすがに色々経験すると、この人変って人はたくさん出てくるしね。

10代の頃や20代前半の頃は、自分の事だけで精いっぱいだったけど、その後は、色々な人がいて色々な苦悩や不幸があるよなと実感することが年を追うごとに本当に多くなった気がします。

それに、どんなに社会的に異常といわれるような人であっても、生い立ちや世界観や価値観も含めて、色々その人の話をしっかり聞けば、その異常さについて納得できることがほとんどだったと思います(というか、まともにその人の話を聞く人が誰もいないからどんどんおかしくなるケースって絶対多いと思います)。

自分の異常性を攻撃することは、何らかの形で異常性を持っている他の人を攻撃することにも繋がります。

ならもう別に異常でも良いじゃんと。

 

それと、もう一つ。

 

去年初めから潰瘍性大腸炎  潰瘍性大腸炎 )という病気に実はかかっていた事が今年初めに内視鏡検査で分かりました。

 

治療の結果、病気はほぼ寛解し、病気になる前とほとんど変わらない体に戻りましたが、ADHDの件もあり、物事への関心や自分についての考え方が少し変わりました。

 

また何で潰瘍性大腸炎になったのかも当然考えざるをえませんでした。

生活そのものに問題があったのはもちろんですが、それ以上に、

DTMで曲を作り、公開するようになってから、制作に集中しすぎて生活リズムがおかしくなったこと、ボカロのシーンに対して、距離感を覚えてはいても無理に合わせようとしすぎていたと思います。

結果的に何か中途半端なものになったなと思います。

そして凄く色々な人に気を使っていたなと思います。

(いや、これからも気を遣うけど。基本気を遣う人だし)

ともあれ、当時は精神的にも身体的にも自分を追い詰めていたなと思います。

潰瘍性大腸炎はたぶんそのあたりの事情が大きかったのではと今は思っています。

 

音楽を続けるにしても、今までのやり方で活動するとまた病気になるのでは、という感覚が強くありました。

自分の立場をもっとはっきり作っておこうと思うようになりました。

 

 

4

 

 わたしは音楽を作っていました。そしてかなり長い間それに集中してきました。

20代の時に、即興演奏の集まりに色々参加したり、バンドをしたり、自分で引き語りで歌っていた時期もありましたし、その後は音楽関係の学校に行ったり、ピアノのレッスンを受けたり、ボーカロイドやUTAU曲を作ってきました。

 

ただ、今から振り返ると、何か自分がそこで出会った人たちやそれらのシーンや環境とは違うものを持っている感じは否めませんでした。個々の人々や音楽や曲に好意を持っても、場所そのものには十分には合わせられなかった(勘違いしてほしくないですが、できればわたしはもっと合わせたい気持ちも強かったです。また特に積極的に排除されたわけでもない)。でもできなかった。それは先に書いたようなコミュニケーション力の低さもあったでしょう。また自分の中に美意識や価値観や世界観が別に(今回の作品集の内容のように)はっきりあったことも大きいです。同じことは文学の世界でも言えることで、自分が馴染みやすいシーンがあったわけでもなかったですね。

 

考えてみると去年に限らず、今までずっと同じようなことをずっとやってきたような気がします。社会とのかかわりの中で。

 

人と違うからと言って(あるいは別の人と同じだからと言って)、それが別の人より優れているかどうかは全く関係ないということも確かです。

問題なのは、異常とか正常とかではっきり差別したり、そういう事に優越感や劣等感を抱いたりすることかもしれません。

 

今書いていて思ったことですが、もしかしたら、作品集を公開したのは、今まさにこの場でこういう事を書けるようにするためだったかもしれません。

 

わたしが如何なる人であっても、結局のところ人であることには変わりません。

人間なんて、宇宙とか地球に比べたらちっぽけなものだし。

そして、どんな人も、その個人個人の人生をその内側から体験することができたのだとしたら、素晴らしい詩や小説の素材なんていくらでも出てくるに違いないと思います。

 

このブログにしても、作品にしても、仕事している時や一人の時も、誰かといる時もそうですが、まあわたしはこういう事を言ったり書いたりする人だといえましょう。。

 

 とにかく、まだ途中まで作りかけになっていた曲も色々あることだし、これでやっと音楽活動に戻れる気がしています。

 

 

 

 

 

 

2002年から2018年までに書いた詩や小説などをnoteにまとめました。

こんにちは。

 

はい、というわけで、今まで書いたものをまとめてみました。

そうですね、タイトルの通りです。

note.mu

ちなみに伊藤佑輔はペンネームです(本名の漢字を変えただけ)。

 

前回のブログ記事で、「これからは詩や小説も載せます」と書いてましたが、病気したり仕事変えたり引っ越ししたりで、日々の生活の中で流れていってしまい、ずっと引っ掛かっていました。ではなぜ載せられなかったか。なぜならとても量が多いからですね。少しずつやるだけの時間はとれそうもないので、一度時間のある時に一度にまとめてどこかに公開しようと思うようになりました。また、過去のものをまとめて書くのなら、新しいものも含めて書いて載せたいと思っていました。

 

最近今の仕事にある程度慣れて、念願だった引っ越しもできたし、体も健康になったので、区切りをつけたいなと思った次第です。そして、最近いくつか詩や文章も書いたので、この際まとめて公開することにしました。

 

全部で130個くらいあります。

 

・・・ごめんなさい、少し多すぎですよね。

このブログで一度に130個の記事を載せると、読み手の方や読者登録いただいている方は大変かなと思い、別のところに一度作ることにしました。

 

このブログでも先に130個分の記事を作っておいて、予約投稿で二日置きに投稿しようと思っています。

 

なのでこのブログでも今後同じ内容は読めます。この作品集の内容は、かなり色々あり、作品によってはわかりづらいものや理解できないものも多いと思います。

いずれにしろ気に入ったものがあればうれしいです。

 

 

 

 

 

 

 

短編小説:想像の別れ/今後のブログについて

この記事を読んでいる皆さん、こんにちは。

 

このブログを始めてからというもの、音楽以外での記事ははじめてですね。

 

突然ですが、小説を書きました。

恋愛小説めいた対話形式の、私小説といったところかな。。

 

今まで自分が公開してきた曲の歌詞が好きな人は、たぶん気に入るんじゃないかなと思います。主人公は男性です。以下に張り付けたので、興味があればぜひどうぞ。

 

なお、読みづらいかもで恐縮ですが、縦書きにしないと雰囲気がでないように思ったので、PDFにしました。PDF内右上の黒字に白の矢印のマークの所をクリックすれば、大きな画面で読めます。気に入ったらダウンロードもそこでできます。

 

 

 

 もう4,5年前に、短編小説をいろいろ書いていた時期があったんですが、

この作品は、その時途中まで書いて、続きを思いつかずに放棄していました。

 

今年の6月頃に、今ならかけるんじゃないかと思って、続きを書いて推敲しました。読めばわかりますが、良くも悪くも自分の性格が良く出ているなと思います (尤も、書き始めたのは4,5年前なので、今こういう作品は書けないな…)。

 

最近、自分は人と違うんだなと改めて思い知らされることが、私生活の中で色々あったんですが、人と同じようにする努力よりも、人と違うとしても、違う人にも伝わるようにする努力をした方が、自分には合っているみたいです。

 

だから、ネット上で、自分がどういう人なのかもっと説明する努力をしたいなと思っていました。小説は、どんな内容であっても、小説っていう形のフィクションだと思っています。だからこの小説の語り手は、そのままイコール自分とは言えません(なんかこの小説の語り手さんはずいぶん文学的で気障だな、と我ながら思うけど 笑)。でも、フィクションでしか表現できないリアリティってあると思っています。

 

またフィクションのない現実も、現実のないフィクションもないって思っています。

自分にとっては、音楽もそうでした。

 

そう、作曲も、懲りずに続けてますよ。音楽も、今までよりも、自分らしく作っていけたらいいなと思っています。難しいとは、分かってるけど、自分とは全然違う人にも、何か伝わるものを作りたいですね。。

 

そういうわけで、今後は、音楽だけじゃなくて、詩や小説もブログにアップしていきますね。

 

それでは、また次の記事でお会いしましょう。

 

きーさ

 

 

 

 

 

 

 

新曲を投稿しました! ストロベリーゼラニウム

どうもどうもこんにちは。きーさです。

新曲を投稿したのでブログも投稿です。

今回は・・・今回はね・・・

かなり思い入れのある曲になりました。

 

歌詞の中にでてくるユキノシズクはスノウドロップ。

ストロベリーゼラニウムっているのはユキノシタの英語名です。

 


【雪歌ユフ】ストロベリーゼラニウム【オリジナル】Strawberry Geranium / Sekka Yufu

 

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歌詞

 

ストロベリーゼラニウム

 

ユキノシタが歌い出す
いつか
わたしが
生まれた
春の訪れを
思い出して

夢が映し出す
面影は
見馴れた顔で
心は誰かに触れたように
風に揺れる

そう わたしたちは
探してしまうの
「いつもあなたはそこで
呼んでたのに」
ねえ また何処かで
会えたとしたら
あの時みたいに
受け止めて

信じることが
できないでいたの
幼さを
抱えて
闇夜を怖れて
いたわたし

ユキノシズクが
奏で出す そう
せせらぎを
さまよう
しずかな陽射しを
かすかにつたえて

そう わたしたちは
夢見てしまうの
「いつもあなたはそこで
泣いてたのに」
ねえ また何処かで
会えたとしたら
いつかの笑顔を
してみせて

そう わたしたちは
愛してしまうの
「いつもあなたとそこで
話してたこと」
ねえ また何処かで
会えたとしたら
あの時みたいに
抱きしめて

 

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追記:歌詞その他について

 

え?スノウドロップは和名で雪待草でしょって?

うん、いやまあ、うん、そうだよね。

お、おいらもそう思うんだ。う、嘘じゃないよ。

でも、でもね。

 

・・・それだと語呂が悪いんだよ。

椎名林檎の歌詞じゃないけど人生語呂合わせなんだよ。

語呂合わせの悪い人生なんてつまらないじゃないか!!

 

というわけで、最近毎回お願いしているゆらのさんにまたまた素敵なイラストを描いて頂けて(いや、とても嬉しかったです。この場を借りて改めて感謝します。。)

これはもう手を抜くわけにはいかねーなと、動画も頑張ってみました。

 

あと今回は雪歌ユフの調声を頑張ってみました。

UTAU界隈の人じゃないとわかりづらい部分はあるけど

resamplerとtn_fndsのエンジンを組み合わせてつかったりしました。

 

え?歌詞の深刻さとブログの文体が合ってないって??

いやあ、うん、いや、まあ、そうだね。うん・・でもさ、ちょっと考えてみてよ。

曲について、何かまじめなことを言いたかったら、

なんかもう、それは曲の中で言えばじゃん。

特に歌詞についてはさ。

歌詞についても、曲についても、

一度公開されて、自分の手から離れていってしまったら、

それはもう聴いた人の人生の一部になるんじゃないかなと。

大げさな言い方をすればそうなんじゃないかなと。

どんなに些細なものだったとしても。

 

だから、この曲が、曲を聴いてくださった方にとって、

喜びでも悲しみでも切なさでも慰めでもいい、

何か意味のあるものになってくれることがあれば、

曲を公開して良かったなと思います。

 

 (※眠いのと投稿した達成感から文章のテンションがおかしいですね・・乱筆乱文失礼しました。)

新曲投稿しました! 妖精たちの棲む島で

10/28追記:youtubeニコニコ動画の曲を修正verに差し替えました!!

よろしくお願いします。

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このブログに投稿するのもだいぶご無沙汰です。。

本当は1月に1回は投稿したかったのですが、4カ月も経ってしまった現在、

内心忸怩たるものがあるのですが(苦笑)

やっと新曲を投稿できました。

いや、ずっと投稿したかったんですよ。

無事投稿できて本当に良かったよ。。

 

↓はyoutube


【初音ミク】妖精たちの棲む島で(修正ver)【オリジナル】 (The Isle of The Nocutiluca)

 

 ↓はニコニコ動画

 

大人びたミクさんと浜辺のイラストは

以前投稿したムーンストーン

pagansynonym.hatenablog.com

に続いてゆらのさん

http://www.pixiv.net/member.php?id=102379

に描いて頂きました。

 

波や夜光虫の質感や遠くに見えるスミレ色の空のグラデーションが特に素敵で気に入っています。有難うございました!

 

以下は歌詞。

 

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「妖精たちの棲む島で」

 

冬のそよぎに
浸されて
宵闇の時が
歌い出す

震えた唇で
応えるように
そっと
うねりのなか
見つめていたの

水の果てで

 

ーー鏡に映り出す
変わりゆく景色と
絡み合う縁の糸は
今も
導く歌のように
優しい声のように
憂いの在処に
いざなう

 

悲しみの夢から
不意に目覚めるころ
十六夜(いざよい)の月が
風に響き渡るころ
満ち引きの調べはいつでも
きっと
うねりの中
伝えていたの

ーーこの世の果てで

 

わたしに映りだす
変わりゆく世界と
奏であう願いの糸は
今も
導く歌のように
優しい声のように
不安の彼方で
呼んでる

 

銀色のヴェールを
かけられた
わだつみの音を
遠く追いかけた
とこしえに連なる魂
きっと
渦を巻く運命(さだめ)を待ってる

ーー生まれた時を

 

鏡に映りだす
変わりゆく景色と
絡み合う縁の糸は
今も導く歌のように
優しい声のように
望みの最後に
いざなう

 

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さて、毎回恒例?の曲の解説ですが、

今回の曲の歌詞は

小泉八雲小泉八雲 - Wikipedia

折口信夫折口信夫 - Wikipediaに影響を受けています。

 

小泉八雲は明治時代に来日後大の親日家になり最終的には日本に帰化したイギリス人で、耳無し芳一などの怪談で有名ですが、最近彼が日本滞在時に書いたエッセーにはまっていまして・・・なかなかリリカルでロマンチックなエッセーが多くて気に入っています。青空文庫にもいくつか翻訳があるので読めるのですが、案外文体にこだわりを持つ詩人気質の人だったらしく、興味深いものがあります。

今回の歌詞と関係が深いのが夜光虫をテーマにした短いエッセー。

↓にリンクがあります。

図書カード:夜光虫

 

もう一人、折口信夫も特に戦前に活躍した人で、短歌、近代詩、小説、民俗学で有名です。彼が注目した常世の国 常世の国 - Wikipedia というものですね。

彼が言うには、海のかなたに常世の国という異世界があり、そこには死者や神々が住んでいて、そこから押し寄せてくる波(常世波)に乗って死者の霊や神々(=マレビト)が毎年やってきて、人々を祝福してくれる、ということを古代の日本人は信じていたそうです。浜辺に寄せてくる波がそのまま死霊たちの国にダイレクトに繋がっている、っていうアイデアは、いわばセカイ系的な面白さがあるように思えます。

 

というわけで昔の日本的なものをテーマにした歌詞になりましたが、

曲はジャズっぽいピアノと16ビートシャッフルのリズムとギターソロとミクさんとmixの上達を課題にして作りました。初の初音ミクですが、成功したでしょうか。

個人的には何か中二病っぽいアニメのテーマ曲みたいで(笑)気に入っています。